徳川美術館・熱田神宮月次茶会

昨日の午後、徳川美術館で行われた某講座のタイトルは「天明五年の名古屋城御堀心中事件」。
天明五年六月二日に御堀で男女の水死体が発見され、その処理に関するあれやこれやの顛末が記された日記の解説でした。

興味をひかれたのは、不浄となった御堀の水の入れ替えが検討された件で、結論は記してなく不明のままでしたが、実際はどうだったのでしょうか。その頃、旱魃で水が云々という文言があったのが気にはなりましたが…。

もう一点は、御堀で心中した男女の親族・関係者にお咎めは無かったのだろうかということですが、これまた時間切れで分からないままとなりました。

昨日15日(土)より、美術館では「天下人の城-信長・秀吉・家康-」展が始まりました。
講座のついでに足早に廻りましたが、蓬左文庫に陳列してあった「香木枕」二点には思わず頬が緩みました…。
織田信長が下賜した枕とありましたが、香木の丸太をそのまま枕にするとは、なんとも贅沢なことです。

夕方近く、納涼の催しでしょうか、美術館前広場には屋台が並び笛の音が響いていました。

徳川美術館納涼催事

昨日の午前中は、熱田神宮の月次茶会でした。
席主は、濃茶席が志野流・蜂谷宗玄氏、薄茶席がくにえだ美術・國枝伸司氏のお二人。

時間の関係で、濃茶席だけ入りましたが、道具組が素晴らしく「納涼」の流れに沿った見事なものでした。
寄り付きの掛物が一惠の「荷葉・中元の供物」、炭道具は鵜籠の炭斗、羽箒は鵜羽、釜敷は鵜綱を編んだもの、火箸は鵜舟の艪を象ったもので至れり尽くせりでした。
瓶子形の茶入には仕服が四つ添えられ、遠州の添状が付いた由緒あるものでした。
本席の床は、和漢朗詠集「納涼」の山城切が掛かり、竜頭の釣舟、葛屋の釜、共蓋が蓮葉を象った水指と凝った組み合わせでした。

寄付の挨拶には宗苾若宗匠が出られましたが、なんだか「力」の入った濃茶席に感じました。

昨日も、そして今日もまた暑い一日でした。

【追記】
和漢朗詠集「納涼」の山城切には、漢詩が6句、和歌は3首ありました。
最初の和歌は、

涼しさや草むらごとに立ちよれば暑さぞまさる常夏の花

常夏の花は、なでしこの異名。
本席床の竜頭唐金釣舟には、ちゃんと白い撫子の花が入っていました。
参りましたネ!