西陣550年

昨日は、京都・冷泉家の「乞巧奠」を見学する前に、西陣織会館へ立ち寄りました。
「茶道具・みやした」の秋の茶道具大展示会が、ここで27・28・29日の三日間行なわれると云う広告が茶道雑誌に載っていたからです。

会館4Fの会場には、2千点以上の様々な茶道具が所狭しと並んでいました。
品物を並べたり、品名・値札をつけたりと、準備には2日間を要したそうです。

専ら、目の保養に努めた次第です。

3Fのホールでは、西陣織振興きものショーを1時間おきに開催していて、外国人観光客が興味深そうに見入っていました。
壁には、西陣550年の大きなポスターが貼られています。
550年?… 逆算すると1467年、応仁の乱です。

西陣550年

応仁の乱(1467~1477)は室町時代に京都で起こり、東軍と西軍に分かれて11年間にも及ぶ戦となりました。
広辞苑には、「足利将軍家および官領(かんれい)畠山・斯波両家の相続問題をきっかけとして、東軍・細川勝元と西軍・山名宗全とがそれぞれ諸大名をひきいれて京都を中心に対抗した大乱。京都は戦乱の巷となり、幕府の権威は全く地に落ち、社会・文化を含めて大きな時代の画期となった。」とあります。

応仁の乱は両将の死によって終わり、時代は群雄割拠の戦国時代に入っていくことになります。
「西陣」と云う名称は、戦の後に山名宗全が率いた西軍の本陣跡一帯に職人たちが戻り、再び織物が盛んになったことから、この名が起こったそうです。

京都では、「先の戦」と云ったら応仁の乱の事だそうですから、なんともはや…。