蹴鞠香

600年代に中国から伝わったとされる蹴鞠(けまり・しゅうきく)は、日本独自の発達を遂げ、平安時代には貴族の間で流行した遊技として知られています。

毎年正月4日には京都・下鴨神社の境内で「蹴鞠保存会」の方々によって蹴鞠が披露されていますが、京都・白峯神宮では4月14日の例大祭と7月7日の七夕でも行なわれ、また各地でも伝統行事として行なわれているようです。

昨年の7月7日、愛知県芸術劇場で行なわれた京都冷泉家七夕の雅宴「乞巧奠」のプログラムには「蹴鞠・雅楽・和歌披講・流れの座」と記されていて、舞台上に竹を四隅に立てた鞠場をつくり、蹴鞠の実演がなされたようです。

蹴鞠のマリは、持った人の話によれば非常に軽くて、まるで風船のようであったと聞いています。(100g強とか…)

蹴鞠については、日本国語大辞典に以下の説明があります。

「古代以来、主に朝廷、公家の間で行われた遊技。通常八人が革の沓(くつ)をはいて、鹿革のまり(※)を足の甲でけり上げ、地に落さないように受け渡す。蹴る回数の多少を競うとともに、まりの軌跡や蹴手の姿勢の優美をも競った。普通、鞠壺(まりつぼ)、または懸(かかり)と称する七間半(約14m)四方の東北の隅に、東南に、西南に(かえで)、西北にを植えた庭で行われた。鎌倉時代、後鳥羽院の頃に体系化されるようになり、難波流、飛鳥井流などの流派があったが、雅経を始祖とする飛鳥井家が室町以後江戸時代を通じて主流となって、将軍家御師範家として栄えた。」
※鞠(まり)=鹿のなめし革で作った直径七、八寸(約21~24cm)のもの。
※蹴鞠始=正月申(さる)の日、または四日にその年はじめて行なわれた蹴鞠の式。

蹴鞠については、Wikipediaおよび「蹴鞠保存会」のHPなどに詳しく記されています。

さて、香道の組香には盤物として「蹴鞠香」があります。

◆香は四種(組み方は十種香と同じです)
一として 四包で内一包試
二として 同断
三として 同断
客として 一包で無試

◆聞き方
一、二、三の試みを聞いた後、
①本香十包打ち交ぜ、内一包抜いた九包を炷き出します。三炷ごとに開いていきます。(札を使用)
②九包炷き終わったら、抜いておいた一包を「沓直(くつなおし)」と名付けて炷き出します。

◆記録
記録紙には当りばかりを記し、一を「序」、二を「破」、三を「急」と書き、客は「客」または「空(うつほ?)」と書きます。
そして、②の十炷目が当たれば記録紙には「沓直」と書かれます。(点数の全当りは全)

「蹴鞠香」は盤物となっていて、参会者を「堂上方」と「地下方」のグループに分けて、団体戦で競う形となっています。
盤上では、当りに応じて人形を進めていきますが、人形の進め方についてはここでは略します。

個人的にはたとえ盤が無くても、なんだか十分遊べるような気がします…。(^O^)

◆盤
人形10(堂上方5人、地下方5人)…装束等は略します。
鞠1
松1本、柳1本、桜1本、楓1本
若松1本、梶1本(秋冬は鞠を梶に添えて、春夏は鞠を若松に添えて盤上に置く)

※図録『香の文化』(徳川美術館)より蹴鞠香の盤。

松(左上)、楓(右上)、柳(右下)、桜(左下)の木が立てられ、中央に若松(梶かも?)に添えて白い鞠が置かれています。

◆メモ・余談
※一二三の香を序破急に置き換えて記録していることから、蹴鞠の動作・心持にはきっと「序破急」の教え・習いがあるように思われます。

明治時代や昭和時代に発行された香書などには、「序破急」や「鞠の手」「留め足」「沓直し」といった文言は出ていますが、それらの意味については記されていません。

また、『群書類従』第十九輯の蹴鞠部には蹴鞠に関する文書が数点収めてありますが、上記の文言は出ていません。

要するに、今のところよく分かりません。

全くの門外漢である私が想像するのは、蹴鞠の三足で蹴る動作、あるいは「アリ」「ヤア」「オウ」という掛け声などに、何か関連でもあるのかな?…ということぐらいです。(どこまでも?です)

また、最後の十炷目の香を「沓直」と名付けている意味は何でしょうか?
革沓でも脱げたのでしょうか、いえいえ、革沓は脱げるような仕立てにはなっていないので、最後です、終わりですといった意味合いにでもなるのでしょうか…。

「蹴鞠香」の背景となると、実に???…です。

ただ、古書には「三修の事」として、気になる記述がありました。

鞠に序破急あるべしとして、ざっと次の様です。
序は、我が木の下深くに立ちて、鞠長のびやかにのどかに蹴るべし。
破は、いささか木の下を出づる様にして、鞠長ひかえて時々曲をも交えて蹴るべし。
急は、晩景では数をはげみ鞠長つづめて互いに忠をつくし興をもよほすべし。

蹴鞠は難しいです…。