大徳寺月釜と金戒光明寺

紅葉にはまだまだ早い京都に日帰りで出かけました。

利休の月命日にあたる28日は、京都・大徳寺塔頭で幾つもの釜が掛けられています。
そのうちの一つ、山門近くの興臨院の席に久しぶりに入ってきました。
席主さんは裏千家の田中宗眞氏。
ゆったりとしたお席で、貴重な道具の数々を拝見しながら、至福のひと時を過ごさせていただきました。

炉開きの趣向ということで、床には淡々斎の「口切り」の画賛がかけられ、お菓子は「ぜんざい」のイメージで、餅の表面に餡をからめ小豆を一粒ずつ隙間なくならべた特製のお菓子で、席主さんの炉開きへの心入れが感じられる絶品でした。
お花は椿の「炉びらき」が一重切竹花入に見事に収まっていました。

※興臨院の前庭

大徳寺山内では、黄梅院の特別公開期間中ということで、拝観できることを楽しみにしていたのですが、今日は開山忌のため拝観は出来ないということで、残念ながら門前からの眺めだけになりました。(紅葉していなくても十分美しいのです!)

※黄梅院

この寺は、3年前のTV番組「百年名家-京都・裏千家-」に登場した利休ゆかりの寺としても知られていて、一度訪れたいと思っていた所だったのですが、次回に持ち越しです。

軽い昼食を済ませ、バスに乗って岡崎神社で下車、近道を通り金戒光明寺へ向かいました。
お目当ては、米川常白のお墓です。
中旬に泉屋博古館を見学した際、金戒光明寺が近くに在ることをたまたま知り、墓を探して途中まで行ったのですが、余りの墓の多さに特定するに至らず、宿題になっていたお墓です。

米川常白(1611~1676)は、香道の組香において生涯一つも聞き外すことが無かったといわれ、御水尾帝の中宮・東福門院(1607~1678)の香指南役であったといわれている人です。
また、香木の六国五味説を完成させた人とされ、毎年7月20日の命日には常白忌が営まれています。

無事に辿りついたお墓へのルートは明日のブログで…。

お墓からの帰りに、境内にある会津墓地にも立ち寄りましたが、碑文に記してある由来には感じ入るものがありました。

金戒光明寺の大門左側には、京都守護職舊蹟(きゅうせき)(舊=旧)の大書が見られ、会津藩と松平容保を偲ぶ縁となっています。


※向って左側の柱に「奥州会津藩松平肥後守様 京都守護職舊蹟」とあります。

金戒光明寺は広大な敷地を有し、市内を一望できる山上にあり、ここに京都守護職が置かれた理由がよく分かりました。