二月堂お水取り・糊こぼし

昨日12日は、古都・奈良に春の訪れを告げる「東大寺二月堂お水取り」の日でした。

以前、と云っても随分昔の話になりますが、お水取りを見に行ったことを思い出します。
とにかくものすごい人出で、大勢の人波に押され、そして流されたことを覚えています。
でも、回廊を大松明が走り火の粉が舞い散ったのはしっかり見届けたので、光という電磁波を介して、火の粉を被らなくても無病息災長寿の御利益は伝わってきたのではないか?と、勝手に思っています。

「お水取り」は修二会(しゅにえ)の行事の一環で、現在は3月12日(元は旧暦2月12日)に行なわれている行事。
なんでも、若狭の国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が魚を採っていて二月堂への参集に遅れたのを悔いて、二月堂のほとりに清水(香水)を涌き出ださせて観音さまに奉ったのが「お水取り」の由来だとか…。

お水取りで忘れられないのが、奈良・萬々堂通則のお菓子「糊こぼし」。
修二会で堂内に飾られる椿の造花を模した、花弁が紅白の和菓子です。
残念ながら、手許に残っているのは「糊こぼし」が入っていた箱だけです…。(^O^)

詩歌をちこち 【四季香】

[和歌]

|①『夫木和歌抄』巻第四 春部四 1558
| 六百番歌合、遅日  後京極摂政
秋ならば月待つ事のうからまし さくらにくらす春の山ざと
『六百番歌合』春部129、及び『秋篠月清集(良経)』歌合百首310にも同歌。
※後京極摂政=藤原良経(ふじわらのよしつね)

|②『宰相中将伊尹君達春秋歌合』 歌人 4
| 女御の春の御心よせ深かなりとて、秋の御方より紅葉・花・虫などをものに入れて、
花も咲く紅葉ももみづ虫の音もこゑごゑおほく秋はまされり
※伊尹=藤原伊尹(ふじわらのこれまさ・これただ)

|③『拾遺和歌集』巻第九 雑下 509
| あるところに春秋いづれかまさるととはせ給ひけるに、よみてたてまつりける  紀貫之
春秋に思ひみだれてわきかねつ 時につけつつうつる心は
〔大意〕春と秋とのどちらがすぐれているのか、春秋の両方にひかれて思い迷い、判断しかねている、時節に応じて、移り変る私の心は。

*和歌出典:①③『新編国歌大観』(角川書店)/②『平安朝歌合大成』第二巻(萩谷朴)
*大意出典:③『新日本古典文学大系』(岩波書店)

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[漢詩]

春水満四澤
夏雲多奇峰
秋月揚明輝
冬嶺秀孤松

〔通釈〕春は水が四方の沢地に満ち満ち、夏は入道雲がすばらしい峰を形づくる。秋の月は明るく輝いて中天にかかり、冬枯れの嶺には、松の秀でた姿が目立つ。 出典『石川忠久・中西進の漢詩歓談』(大修館)

※和歌②は聞書と一部異なります。
もみづ【紅葉づ・黄葉づ】秋になって、草木の葉が赤や黄に美しく色づく。出典『旺文社古語辞典』

※漢詩「四時歌」…出典『石川忠久・中西進の漢詩歓談』(大修館)

・詩は陶淵明(とうえんめい)(365~427)の作と云われていますが、同じ東晋の画家・顧愷之(こがいし)(345?~406)の作という説が有力。岩波ワイド文庫の『陶淵明全集 上・下』は、この詩を収めていません。
・名古屋市にある「揚輝荘」の名は、この漢詩から引かれているようです。
・四句とも茶掛けとして用いられています。