詩歌をちこち 【子規香】

組香に引かれている和歌や漢詩の出処をピックアップし始めてから早や5ヶ月になります。
今回は【子規香】。
読みは、正岡子規に倣うと[しき香]となりますが、矢張り[ほととぎす香]の方が落ち着くようです。

詩歌をちこち 【子規香】

楚塞餘春聴漸稀
断猿今夕譲沾衣
雲埋老樹空山裏
彷佛千声一度飛

『三体詩』
|香山館聴子規   香山(こうざん)の館(やかた)に子規(しき)を聴(き)く  竇常(とうじょう)

楚塞餘春聴漸稀  楚塞(そさい)の餘春(よしゅん)聴(き)くこと漸(ようや)く稀(まれ)なり
断猿今夕譲沾衣  断猿(だんえん)今夕(こんせき)衣(ころも)を沾(うるお)すことを譲(ゆず)る
雲埋老樹空山裏  雲(くも)は老樹(ろうじゅ)を埋(うず)む空山(くうざん)の裏(うち)
彷佛千聲一度飛  彷彿(ほうふつ)たり千声(せんせい)の一度(いちど)に飛(と)ぶに

〔※〕ここ辺境の地、楚では、春の過ぎゆこうとするころ、はやほととぎすの声はだんだん聞かれなくなってくる。はらわたを断つ猿の声、衣をうるおすほどの涙をそそるその声も、今宵のほととぎすの声の悲しさには及ぶまい。うっそうと茂る古木が雲につつまれているひとけのない山中にこだまして、さながら、数知れぬ啼き声が一時に飛びたつかのよう。

出典:村上哲見『三体詩 上』(朝日新聞社)

※上記『三体詩 上』の解説(部分抜粋)
「香山の旅宿にて、ほととぎすの声を聞く。香山は湖南省湘郷の西にある山。子規はほととぎす。周のとき、蜀(四川省)において帝位につき望帝と称した杜宇(とう)が、死んでのちこの鳥になり、蜀を懐かしんで「不如帰去(帰り去るに如(し)かず)」と鳴くと伝えられる。この伝説から、杜鵑(とけん)、杜宇、不如帰(ふじょき)などともいい、悲しい声で旅人の帰心をうながす鳥として、しばしば詩に詠じられる。」

※「はらわたを断つ」=「断腸」
『日本国語大辞典』の[補注]には、「中国、晉の武将、恒温が三峡を旅した時、従者が猿の子を捕えた。母猿は悲しんで岸を追うこと百余里、ついに船にとびうつることができたが、そのまま息絶えた。その腹をさいて見ると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事が「世説新語」に見える。」とあり、意味としては、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいうようです。

【子規(ほととぎす)香】

◆香は四種

一として 三包で内一包試
二として 同断
三として 同断
客として 二包で無試

◆聞き方と記録紙

一二三の試みを聞いて香りを記憶します。
出香八包を、一二三ウ、一二三ウの二結びにしておきます。

①先ず、一結びの四包を打ち交ぜて炷き出します。
一炷目をウと聞けば、香山館と書きます。
一炷目をウ以外の一二三の内と聞けば、子規と書きます。
二炷目以降は、一二三ウの文字で書きます。

②次に、もう一結びの四包を打ち交ぜて、内から一包を取り炷き出します。
聞きに応じて、以下の句を書きます。
一と聞けば 楚塞餘春聴漸稀
二と聞けば 断猿今夕譲沾衣
三と聞けば 雲埋老樹空山裏
ウと聞けば 彷佛千声一度飛

全当りの人には全を、他は当りに応じて点数を記します。

[メモ]
・香四種は漢詩の四句に対応しているようです。
・一炷目を、香山館または子規と書くことで、香山館で子規の声を聞くという情景を印象付けているようです。
・次出香で一包を炷き出すのは「今一声の…」といった趣向なのでしょうか。(?)

さて、ホトトギスです。

古来、和歌や漢詩に詠まれている夏鳥として、誰もがその名を知っているホトトギスですが、実際にこの鳥を見たことはありません。
渡り鳥で、日本には5月頃に渡来し、8~9月頃に南方に去るようです。
「キョッキョッ、キョキョキョキョ」と鳴き続ける声は、「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と聞こえるとされています。
また、自分では巣を作らずにウグイスなどの巣に托卵することでも知られています。

※『日本の野鳥』(山と渓谷社)より

※『日本の野鳥』(山と渓谷社)より

何よりの驚きは、呼称やホトトギスの漢字が山ほどあることです。

[呼称]=菖蒲(あやめ)鳥、妹背(いもせ)鳥、うない鳥、早苗(さなえ)鳥、卯月(うづき)鳥、しでの田長(たおさ)、橘(たちばな)鳥、霊(たま)迎え鳥、時つ鳥、夕影(ゆうかげ)鳥、夜直(よただ)鳥など。

[漢字]=杜鵑、時鳥、子規、郭公、不如帰、霍公鳥、杜宇、沓手鳥、蜀魂など。

『三体詩』の「香山館聴子規」の解説にもあるように、ホトトギスには蜀王の霊の化した鳥とか、冥土との間を行き来する鳥とか、種々の言い伝えがあるようです。
そう云えば、「鳴いて血を吐くホトトギス」などという言葉もありました…。

和歌に詠まれるホトトギスも、どこか悲しい響きがあるようです。

ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞのこれる   後徳大寺左大臣

舞台物では、ほととぎすこじょうのらくげつ【沓手鳥孤城落月】、ほととぎすだてのききがき【早苗鳥伊達聞書】などが辞書に載っていますが、どちらも悲しい物語のようです。

ホトトギスにまつわる余談です。

・秋に咲くホトトギス【杜鵑】の花には紫色の斑点がありますが、ホトトギスの名は鳥のホトトギスの腹の横斑に見立てての名とか…。

・四季を代表する鳥として、春はウグイス(鶯)、夏はホトトギス(郭公)、秋はカリ(初雁)、冬はチドリ(千鳥)を名目にした組香に「替寝覚香」があるようです。

・「鳴かぬなら、鳴くまで待とうほととぎす」と詠んだのは家康。信長、秀吉の句もあり、それぞれの性格を表しているなどと聞いた覚えがあります。
ならば私も……と、頭をひねって何とか一句思いつきました。「鳴かぬなら、ちちんぷいぷいホトトギス」<m(__)m>

夏椿が咲いています。
一日花で、ポタリと落ちる姿には潔さを覚えます。