(2017.05.28記)

夏を彩る風物詩の一つに「鵜飼」があります。
各地で行われている鵜飼ですが、中でも岐阜の長良川鵜飼は全国にその名を知られ、毎年多くの観光客が訪れています。

鵜飼の歴史は古く、1300年程前の『古事記』に既に「宇加比(ウカヒ)」の文字が見られ、平安時代の『源氏物語』にも書かれているほどです。
江戸時代には諸藩の保護を受け確立した鵜匠制度ですが、明治以後は長良川の鵜飼が御漁場として皇室の保護を受け、現在でも宮内庁式部職(非常勤職員)の肩書を持つ鵜匠によって漁が行われているように、鵜飼と云えば長良川を指すほどです。

鵜飼の時季に遊ぶ組香に「鵜飼香」(大外組)があります。

◇香は五種
鵜川として 四包で内一包試
篝火として 同断
小舟として 同断
荒鵜として 一包で無試
月 として 一包で無試

◇聞き方
鵜川、篝火、小舟の各試みを聞いた後、
①先ず、鵜川、篝火、小舟の各一包計三包取り、これに荒鵜一包加えた四包を打ち交ぜてたき出します。
②次に、残っている六包(鵜川・篝火・小舟各二包づつ)に月を加えた七包を打ち交ぜてたき出します。ただし、香炉一つで一炷開きとし、月が出ればそこで終りとします。

◇記紙、記録紙の書き方
常の通りです。全当りは点数の所に全と記します。

◇メモ
・荒鵜とは、まだ飼い主に馴れていない鵜のこと。
・次出香で、月が出た時点で出香を終りとするのは、満月の夜には鵜飼をしなかったという故事によるものと思われます。
・ この組香の妙味は、まだ鵜匠に十分慣れていない荒鵜を見つけることと、何よりもが出たらお終いにするところにありそうです。

【余談】

①鵜飼
鵜飼に用いられる鵜は、元はと云えば全て茨城県日立市で捕獲される海鵜。
捕獲された鵜は、冬場に飼匠のもとに届けられて、2~3年の間厳しい訓練を受けてからデビューするそうです。

現在、宮内庁式部職の肩書を持つ鵜匠は、長良川鵜飼で6人、少し上流の小瀬鵜飼で3人の計9人。
鵜飼に関する事、及び上記鵜匠についてのうんちくは、「鵜匠の家 足立」や「鵜匠の宿 すぎ山」のHPに詳しく紹介されています。
長良川河畔の「長良川うかいミュージアム」では、 ディスプレイに工夫を凝らして、鵜飼の全貌(歴史、方法など)が把握できるような展示・解説がなされています。また、小屋で飼育されている鵜を見学することも出来ます。

鵜飼は、5月11日から10月15日まで、仲秋の名月の日と、増水で鵜飼が出来ない日を除いて毎日行われているようです。
昔は、仲秋の名月の日は勿論のこと、満月の日には鵜飼を行わなかったと云われています。
漆黒の闇に輝く篝火があってこそ、鮎が反応し、鵜は鮎を捕える事ができるようです。

鵜匠の家・足立のHPには、鮎の夜の習性が以下のように記してあります。
「鮎の夜の性質として、①岩陰で隠れている、②光を嫌う、③音に敏感である、④瞬間的に川上に走る。
よって、かがり火の火と、船をたたく音により、逃げる鮎を鵜が捕えるのです。鮎は雑魚と違って数も多く、川底を一斉に走るため捕らえやすいのか、新鵜も慣れてくると次第に岩陰を縫って泳ぐようになります。」

鵜飼は、船を下流に向かって進めますが、光と音に驚いた鮎は川上に向かって走るわけですから、鵜は待ってましたとばかり、鮎を捕えることになります。
また、満月の夜は、周りが明るくて篝火の効果が薄れるからお休みにした、と推測できます。

個人的には、鵜飼と満月の関係は一件落着と云ったところです。(表面的には!)

鵜飼の事を考えていたら、アユの塩焼きとアユ雑炊を食べたくなりました。(^O^)

②『古事記』と『源氏物語』
前書きのところで、『古事記』や『源氏物語』に鵜飼の文字が見えると書きましたが、出典は以下の通りです。

◆『古代歌謠集』…日本古典文学大系(岩波書店)
「宇加比(ウカヒ)」の文字がみえます。

◆『源氏物語-藤裏葉-』…宮内庁書陵部蔵青表紙本(新興社)

<読み>~一行目下から~
東(ひんがし)の池(いけ)に船(ふね)ども浮(う)けて、御厨子所(みずしどころ)の鵜飼(うかひ)の長(おさ)、院(いん)の鵜飼(うかひ)を召(め)し並(なら)べて、鵜(う)をおろさせ給(たま)へり。小(ちい)さき鮒(ふな)ども食(く)ひたり。
-読みは、『源氏物語 上』(桜楓社)より-

長良川鵜飼が、宮内庁式部職(非常勤)の肩書を持つ鵜匠によって連綿と受け継がれていることが頷けるような内容です。

鵜飼で獲られた鮎は、あだや疎かにはいただけませんネ。(o^-^o)

③能の曲「鵜飼」
『まんがで楽しむ能の名曲七十番』(檜書店)に載っている「鵜飼」の前書きの部分です。

【石和川】-日本国語大辞典より引用-
笛吹川に注ぐ、金川(かねかわ)の末流部分の称。笛吹川の流路変更のため、現在は笛吹川本流に含まれる。日蓮が鵜飼勘作の霊を弔うため、題目を石に一字ずつ書いて投げ込んだ故事で有名。鵜飼川。
*謡曲・鵜飼(1430頃)「そもそもこの石和川と申すは、上下(かみしも)三里が間は堅く殺生禁断の所なり」