六歌仙香

古今和歌集の仮名序で、和歌に秀でて歌仙と称された平安初期の六人、即ち在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大友(大伴)黒主、文屋康秀、小野小町は、後に「六歌仙」と呼ばれています。(因みに、歌聖とされているのが柿本人麻呂と山部赤人)

六歌仙をモチーフにした組香に【六歌仙香】があります。

◆香六種
あさみとりとして 二包で内一包試
月やあらぬとして 同断
我庵は  として 同断
吹くからにとして 同断
思ひいててとして 同断
色みえて として 同断

◆聞き方
六種の試みを終えた後、出香六包を打ち交ぜ、内より二包を取り炷き出します。

◆記録
本香を先に開き、初句五文字にて書き付けます。
二炷当りは歌二首を各二行で書き、一炷当りは初句五文字に合点をかけるようです。(不当は初句五文字のみ)

詩歌をちこち 【六歌仙香】

|①『古今和歌集』巻第一 春歌上 27
|  西大寺のほとりの柳をよめる   僧正遍照
あさみどりいとよりかけてしらつゆを たまにもぬける春の柳か
〔大意〕浅緑色の糸を撚り合せて、白露を玉として貫いている春の柳よ。

|②『古今和歌集』巻第十五 恋歌五 747
|  五条のきさいの宮のにしのたいにすみける人にほいにはあらでものいひわたりけるを、む月のとをかあまりになむほかへかくれにける、あり所はききけれどえ物もいはで、又のとしのはるむめの花さかりに月のおもしろかりける夜、こぞをこひてかのにしのたいにいきて月のかたぶくまであばらなるいたじきにふせてよめる   在原業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして
〔大意〕月は、そして、春は、昔のままの月であり春であって、自然はやはり変らない。それに反して人は変っていくものなのに、どうしたことか取り残されたように、わたくしのこの身だけがもと通りの状態であって…。

|③『古今和歌集』巻第十八 雑歌下 983
|      きせんほうし
わがいほは宮このたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり
〔大意〕わが庵は都の東南で、その「巽」という名の通りに慎ましく住んでいるだけのことだ。ところが世間の人は「世を宇(憂)治山」と言っているそうな。

|④『古今和歌集』巻第四 秋歌上 249
|  これさだのみこの家の歌合のうた   文屋やすひで
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山かぜをあらしといふらむ
〔大意〕吹くとともに秋の草木がしおれるので、なるほど山風を「あらし」と言うのだろう。

|⑤『古今和歌集』巻第十四 恋歌四 735
|  人をしのびにあひしりてあひがたくありければ、その家のあたりをまかりありきけるをりに、かりのなくをききてよみてつかはしける   大伴くろぬし
思ひいでてこひしき時ははつかりの なきてわたると人しるらめや
〔大意〕あなたを思い出して恋しい時は、秋の初雁が鳴いて渡って行くようにわたくしが泣き泣き通っていると、あなたはご存知でしょうか、ご存じありますまい。

|⑥『古今和歌集』巻第十五 恋歌五 797
|      小野小町
色見みえでうつろふ物は世中の 人の心の花にぞ有りける
〔大意〕色が見えていて変るものは花ですが、色が見えないで変るものは、世の中の人の心という花であることです。

*和歌出典『新編国歌大観』(角川書店)
*大意出典『新日本古典文学大系』(岩波書店)