練香・六種の薫物

茶の湯でも使われる練香に「六種(むくさ)の薫物(たきもの)」と呼ばれているものがあります。

「六種の薫物」は、代表的な薫物六種の総称で、即ち、梅花(ばいか)・荷葉(かよう)・菊花(きっか)・落葉(らくよう)・侍従(じじゅう)・黒方(くろぼう)のことです。

薫物は、沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)、丁子(ちょうじ)など種々の香材を粉末にして調合し、蜜や梅肉などを加えてよく練り合わせ、そして熟成させた練香(ねりこう)のこと。
用いる香料の比率や練り方は、人や家によって異なり、製法は「秘伝」して今に伝えられているようです。

志野流香道の先代家元・蜂谷幽求斎宗由宗匠がかって月刊誌に寄稿されたという「香道の心得」の中に、練香に関する興味深い記述があります。

「降り続く梅雨の中に、円く、たわわに実を結んだ青梅もやがて梅酒や梅酢に作られ、梅干に姿を変える。共にその香り、風味は甘酸っぱさを含み、昔から何かにつけて重宝がられてきたが、肉質部が練り香の粘着、醗酵材であることはさほど知られていないはずである。よく実ったものを選りすぐり、塩漬にする。ほどなくして熟れて酸味の強くなった梅肉をよく練り、スイノウで漉し、蜂蜜を加えて粘着力を強める。これにヤゲンですり潰した沈水香や白檀それに麝香そのほかの香薬種を混入し、梅酢で加減しながら練りあげていく。この時点ではまだ用いず、出来上がった固形物を壺に密封し、暗所に寝かしておくのが常法だ。数ヵ月後、その香りがふくよかな甘さを発散させると完成された練り香ということになる。」

寄稿文には、今では事情があって某家にその製法をゆだねていると記してありましたが、香老舗・松栄堂で市販されている「松の齢(よわい)」が蜂谷家伝来とありますから、恐らくこのことと思われます。

さて、梅花・荷葉・菊花・落葉・侍従・黒方の「六種の薫物」の香りはどうなのでしょうか。
例えば「梅花」。
「梅花」といっても、香りが梅の花に似ているということではなくて、梅が咲く早春の季節感を練香の香りでいかに表現するかということに重きをおいて創られたのではないかと思っています…。

また、六種の薫物(練香)を焚く時季はいつごろなのでしょうか。
梅花・荷葉・菊花・落葉は植物からの銘と捉えると、梅花は春、荷葉は夏、菊花は秋、落葉は冬とすることに異論はないと思われます。
問題は侍従と黒方はいつか、ということになります。
下は、老舗・鳩居堂のカタログに載っている「六種の薫物」です。

◆鳩居堂「六種の薫物」の添え書きには、「明治十年に太政大臣三条実美公より九百年の御料として宮中に献じる為に同家に伝わっていた名香の秘方を、当家がことごとく親授賜った平安王朝より変わらぬ煉香。」とあり、それぞれの季節が記してあります。
黒方 季節-四季通用及び祝賀の時
梅花 季節-春
荷葉 季節ー夏
菊花 季節-秋
侍従 季節-冬
落葉 季節-冬

上では「黒方」は無季、「侍従」は冬ということですが、異なる記述も他の伝書にはあるようです。

◆太田清史『香と茶の湯』(淡交社)では『むくさのたね』によるとして、
春は「梅花」で梅の香り、
夏は「荷葉」で夏の蓮の花の涼しい香り、
秋は「菊花」が菊の花の香り、
冬は「落葉」で木の葉の散るころの香り、
四季を通じて使える玄妙な香りの薫物として「黒方」、
「侍従」という秋風を感じさせる、人物になぞらえた香り。
などと記してあります。

◆山田眞裕『香木三昧』(淡交社)では『薫集類抄』によるとして、
「梅花」は「梅の花の香りになぞらえるもので、春に用いる」、
「荷葉」は「荷(はす)の香りになぞらえ、夏に用いる」、
「侍従」は「秋風が颯爽と吹き、心にくきおりの風情をあらわす」、
「菊花」は「菊の花に似た香り」、
「落葉」には記載がなく、
「黒方」は「冬、凍て氷る時(に用いる)。その匂いに深みあり」。
などと記してあります。

※侍従は、天皇に近侍して護衛し、その用を務める令制での官人で元は定員八人。源氏物語「乙女」に「秋の司召(つかさめし)に、かうぶりえて、侍従になり給ひぬ」とあるように、秋に任官される職であった。→だから「侍従」は秋?
※五行の木・火・土・金・水に対応するのは、五時で春・夏・土用・秋・冬、五色で青・赤(朱)・黄・白・黒(玄)。→だから「黒方」は冬?

◆ネット上には、出典は明記してありませんが、「梅花」は春、「荷葉」は夏、「侍従」は恋、「菊花」は秋、「落葉」は冬、「黒方」は賀、といった記述もありました。

なお、『源氏物語』の「梅枝(うめがえ)」に出てくる薫物は、「黒方」「侍従」「梅花」「荷葉」の四種です。

以上、長々と重箱の隅をほじくるような話になりましたが、問題となるのは「侍従」と「黒方」の季節です。
「梅花」「荷葉」「菊花」「落葉」は、春・夏・秋・冬で何れもすんなり収まっています。

「侍従」と「黒方」の季節はどこがいいのでしょうか?
伝書によって、いろいろあるところを見ると、どうやら、定まってはいないようです。
個人の心象風景として、おもむくままに用いて良いのかもしれません。

個人的には、目をつむって「侍従」は秋、「黒方」はオールマイティーとして無季、といったあたりでしょうか。

因みに、当方で「六種の薫物」を焚いたことはありません。
炉の時期に炉中に置くのは専ら「梅ケ香」で、時々「玄妙」、時々「松の齢」です、ハイ。
そういえば、「御題香」もここ数年焚いているような覚えがあります…。(^O^)

ヒメヒオウギの花が咲きだしました。