日本晁卿辞帝都

哭晁卿衡  晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す  李白
日本晁卿辞帝都  日本の晁卿 帝都を辞し
征帆一片遶蓬壺  征帆一片 蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る
明月不帰沈碧海  明月帰らず 碧海(へきかい)に沈み
白雲愁色満蒼梧  白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ

〔注〕哭=大声をあげて人の死をいたむこと。
晁衡=阿倍仲麻呂の中国名。朝衡とも書く。
帝都=唐の都。長安。
蓬壺=東方の海上にあると信じられていた仙人のすむ島。蓬莱山のこと。
明月=晁衡をさす。
蒼梧=広西省の海岸にある地名。昔、蕣(しゅん)がこのあたりで死んだという。

〔訳〕日本の晁衡は都長安に別れを告げて、
一そうの帆かけ船に乗り東方の海上にある蓬莱をめぐって去っていった。
晁衡は再び帰ってこず、深いみどりの海に沈んでしまった。
蒼梧あたりの空には白い雲と愁いを含んだ気配がみちみちている。

以上、出典は石川忠久『NHK漢詩をよむ』(NHK出版)。

阿倍仲麻呂(698~770)は遣唐使の随員として717年、唐の都長安に到着。以来、唐王朝に仕え玄宗皇帝の厚遇を受けた後、753年に帰国の途につきますが、暴風雨に遭って船は難破し安南(ベトナム)に漂着。その後、長安に戻って一生を終えています。上記の漢詩は、仲麻呂は死んだという噂が李白の耳に入って詠まれた七言絶句となっています。

阿倍仲麻呂は「百人一首」の中に収められている「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌でも有名です。

写真の掛物は、かって唐の都・長安があった現・西安に行ったときに手に入れたものです。(表装は日本で)
二行七文字の約束に従って、七言絶句が書かれていて、ちょうど中央に「明月」の文字が配されています。
中秋の名月(今年は10月1日)あたりにピッタリ?の掛物になっています。

一足早く、今日の和楽会の床を飾った一幅です。
日本人観光客向けに書かれたものなのでしょうが、ちゃんと関防と落款が定型で入っています。

なお、写真の掛花入れは、ススキとノカンゾウ、そして萩が添えられています。

ところで、上記の七言絶句に「蓬壺(ほうこ)」の文字が見えます。
蓬壺、方壺、瀛(えい)壺の【三壺】は、神仙が住んでいるという海中の壺の形に似た三つの山で、志野流香道では組香「三壺(さんこ)香」の題材になっています。
「三壺香」は「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)」の三つの山(三神山)を香三種としています。

因みに、日本の三神山は「冨士・熊野・熱田」の三つの山とか…。(^^)