八卦香炉

丸い聞香炉の外表面に八卦を浮き彫りにした青磁や白磁の八卦香炉を写真で見たことがあります。

東京麻布・香雅堂のサイトには白磁八卦聞香炉の写真が載っていて、有田の窯元に製作を依頼された事の顛末が興味深く記されています。


※上図の八卦が、聞香炉の外側に浮彫になっているのが八卦聞香炉です。

では、香炉の正面は八卦の浮彫のどこにしたらいいのでしょうか。

どこか一か所に決まっているのでしょうか。
それとも季節あるいは月ごとに変えるのでしょうか。

『香と香道』(雄山閣)には、『香道秘伝書』に従えばとして八卦と正面の関係は次のように記してあります。

☵坎…11月
艮…12月・1月
☳震…2月
巽…3月・4月
☲離…5月
坤…6月・7月
☱兌…8月
乾…9月・10月

八卦の配置図で、☵坎を11月として時計回りに各月が配されています。(下図参照)

尤も、八卦は8個しかありませんから、四つの卦には2ヶ月ずつ配されることは致し方ありません。

ここでは、☵坎の11月から始めましたが、下の[季節関連図]と対比しやすくするためです。

[季節関連図+八卦図](図中の月は旧暦)※八卦と月とは直接対応してはいません。

(例)11月であれば、☵坎の卦の所が正面、即ち聞き筋をつける所ということになりそうですが…。

以下は、全くの余談です。(^O^)

・[旧暦]…日本では明治五年十二月二日まで旧暦が使われてきましたが、あくる日を明治6年1月1日として現行の太陽暦(グレゴリオ暦)に変更しました。
この改暦に伴ない、様々な行事も新暦の日付にそのままスライドされています。
例えば、3月3日の上巳の節供(桃の節供)も元は旧暦三月三日の行事でしたので、今でも旧暦の日付で行なう所、月遅れで行なう所など様々です。

志野袋の花結びや挿枝も、元は旧暦の月に準じているものと考えられますが、季節に合った取り合わせになっているようです。

・[一陽来復]…一陽来復は、陰暦(旧暦)十一月、または冬至の称と辞書にはあります。
冬至は、一年で昼が最も短い日で、この日を境に昼が長くなることから、陰が極まったところから陽が戻ってくる、生命力が復活する日として祝う習慣が昔からありました。(今でも、南瓜や小豆粥を食べたり、柚子湯に入ったり…です。)

二十四節気は、冬至と夏至→春分と秋分→立春・立夏・立秋・立冬と、二至二分四立で八節を作り、さらに三分割して作られています。
そして、旧暦では「冬至」を含む月を十一月として、以後の月を決めていると聞きます。(冬至は、唐の正月とも…)

上図で、八卦と八卦香炉正面の関係を11月から始めたのはこうした理由からです。

・[六十四卦]…八卦は8個しかないので、八卦と一年12ヶ月を直接的に対応させることはできません。
そこで、八卦を上下二段に重ねて、8×8=64のパターンの卦を作り、それぞれに意味を与えたのが六十四卦で、占いなどに使用されているようです。

六十四卦を使用すれば、この内から12個をとりだし12ヶ月と直接対応させることは可能ということになります。
しかし、本題の八卦聞香炉とは関係ないことですので詳細は略します。(^O^)