利休忌に寄せて
利休が切腹して亡くなったのは天正19年(1591年)2月28日。(旧暦)
新暦でひと月遅れの今日3月28日には裏千家で、また昨日3月27日には表千家でそれぞれ利休忌が営まれています。
家元で行なわれる利休忌の詳細は知る由もありませんが、利休の月命日にあたる28日には京都・大徳寺のいくつかの塔頭で月釜が掛けられていて、それには何回か足を運んだことがあります。
大徳寺の月釜はゆったりとした雰囲気でとても落ち着きます。
和楽会でも利休忌に合わせて、ささやかながら利休座像の掛物を掛け供茶を捧げました。
今日は最高気温25度の初夏を思わせる陽気となり、目に映る景色もなんだか輝いているように感じました。
柳は新緑の芽を伸ばし、桜も今年は既に満開、まさしく柳・桜をこきまぜて春の錦の様相です。
香道一口メモ・144【一木三銘④】
興津の買い求めた伽羅は希代の名香ということから「聞く度に珍らしければほととぎすいつも初音の心地こそすれ」との古歌から「初音」と付名された。興津はその後、三斎が死去するまで仕えたが、三斎の三回忌に京都・船岡山のふもとで殉死した。この初音は寛永三年、後水尾帝が二条城へ行幸された時、三斎の子忠利が帝の所望により献上している。