徳川義直の墓所・定光寺
名古屋・徳川美術館の春季特別展「家康から義直へ」が4月12日(日)から開催されます。(~5月31日)
初代尾張藩主として尾張の地を治めたのは徳川義直(1600~1650)。
徳川家康の九男として誕生し、家康の薫陶・訓導を受けて育ち、尾張徳川家の基礎を築いたことで知られています。
徳川美術館の季刊誌「葵」春号には、上記特別展の紹介と共に「建中寺と尾張徳川家墓所について」と題する研究ノートが載っていました。
そこには、初代・義直の亡骸は遺命により瀬戸市の山間の定光寺に埋葬されたこと、建中寺は尾張徳川家の菩提寺で二代光友が父・義直の供養のために創建した寺であること、そして建中寺が以後歴代当主の墓所・霊廟となったこと、広大な墓所は第二次大戦後に市街地の復興計画の一環として整理・発掘されたこと、ほとんどの遺体が棺内に座した状態で埋葬されていて半数はミイラ化していたこと、発掘された遺体は火葬されて遺骨は定光寺へ合祀されたこと、現在の建中寺には光友の墓所・霊廟が残されていること、有名な七代・宗春の墓塔は平和公園に移設されたこと、等々が実に興味深く記されています。
墓所発掘の様子は『建中寺墓所移転顛末』(徳川美術館蔵)という記録に残されているそうです。
俄然、興味が湧いてきました。
定光寺へ行って義直の墓所を是非とも見ておかなくちゃ…。
というわけで、曇り空の下、定光寺へ車を走らせて昨日お参りしてきました。
※定光寺参道入り口。
※結構キツイ石段百数十段を登ります。
※最後の石段を登り山門をくぐれば本堂前です。
※本堂右側の「徳川義直公廟所」入口。(拝観料100円)
※山道の石段を上ると、塀で囲まれた墓所・霊廟に着きます。
※一番奥の所に葵紋の扉があり、この中に墓塔があります。
※徳川義直公の墓塔です。
※墓所には山桜が咲いていました。
なお、徳川義直公のおくり名・諡号(しごう)は「源敬公(げんけいこう)」です。
霊廟の近くには、殉死した9名のお墓もあり、改めてそういう時代であったことに思いを馳せました…。
思いがけない花見を楽しみ、百数十段の石段上り・下りの運動もできて、とても有意義な定光寺参りとなりました。!(^^)!