夏椿

夏椿が梅雨空に咲いています。
別名は、しゃらのき【沙羅樹】。

一日花で夕べにハラリと落ちる姿には潔さを覚えます。
今年は樹になんとなく勢いがなく、花に伸びやかさが欠けているような気がしています。(養分不足?)

昭和47年(1972)出版の『尾張の茶道』(河原書店)の中に、「千玄々斎宗室」と題して井口海仙による記事がありました。
井口海仙(1900~1982)は裏千家13代家元円能斎の三男で著作物の多いことでも知られています。

裏千家十一代玄々斎は、武家の三河松平家に生まれ、縁あって十歳の時に裏千家へ養子として迎えられた人です。
裏千家中興の祖とされ、玄々斎抜きに裏千家を語ることは出来ないほど数々の功績を残した家元と云われています。

功績の一つが明治五年の「建白書」。
時代は江戸から明治に移り、廃藩置県や断髪、廃刀などが行われ、それまで大名お抱えで禄を得ていた家元もお役御免となり、経済的にとても苦しい時代を迎えていたようです。

明治新政府になってから、茶道・能楽などは単なる遊芸に過ぎないとして、茶道各家元に「遊芸稼ぎ人」の鑑札を持たせる布令が明治五年に京都府知事から出されたそうですが、それに対して玄々斎は三千家を代表して『茶道の源意』を執筆し、茶道がただの遊芸ではない旨の建白書を当局に出したそうです。

◆茶道の源意は忠孝五常を精励し、節倹質素に専ら守り、分限相応たる家務に怠らず、治世安穏の朝恩を奉戴し、貴賤衆人親疎の隔て無く公会し、子孫長久無病延寿の天恩を仰ぐ。斯業を教諭の道故、茶道の規矩厳重礼節正敷 五体を崩さず、誠心を以て執行成す事業なり。依てわずか薄茶一点中にも、此意趣悉皆顕然と表示畢
| 衣食住道具の露地も奢りなく
|  誠意を励む茶味の明くれ
|             精中六十三年七ヵ月誌
| 乍恐奉願上候口上書 右者茶道之意味奉懇願候

この建白書が提示されたため、茶道の師範は「遊芸稼ぎ人」という枠から外されたのだそうです。

茶道家元を「遊芸稼ぎ人」とは穏やかではありません。
それにしても、建白書の文面からは、武家出身者にしか書けない格調とプライドの高さが感じられます。
流石、出自が武家である玄々斎の面目躍如といったところでしょうか。(^^)

建白書の内容については、この本で初めて知った次第です。
個人的には、時代がかった文面もさることながら、文面の熟語がパソコンでちゃんと変換できたことに驚いています。

なお、玄々斎は出自からして尾張地方とは関係が深く、当地には玄々斎好みの茶室が残っています。

今週17日(水)にNHKBSPで「平成の名香合」がまたまた再放送されるようです。(3月にも再放送がありました!)
平成21年に志野流家元松隠軒で行われた名香合(めいこうあわせ)の様子が収録されています。

6月17日(水) 9:00~10:40
6月18日(木) 0:45~  2:25

リクエストが多かったのでしょうか、それとも…。(^^)