20ヵ月ぶりのお茶席

久しぶりに、大寄せのお茶会に出かけました。

昨年2月15日の熱田神宮月次茶会に参加してから、実に1年8ヵ月もの間、お茶席から遠ざかっていました。
度重なる新型コロナ緊急事態宣言の発出に伴い、ほとんどのお茶会が長期の休止を余儀なくされていましたが、感染者の減少に伴って宣言は解除され、感染防止対策を講じながらの再開です。

今日は、名古屋・豊国神社で月釜が掛けられ、志野流茶道・蜂谷なをみ氏と裏千家・庄司宗文氏のお二人が席主を務められました。

※茶苑入り口の植え込み

ご時勢に合わせて、お菓子とお茶を頂戴するとき以外は、皆さんマスク着用です。(お点前する人もマスク!)

志野流の本席掛物は、力強い墨蹟の天室和尚筆「聖朝無棄物」。
聖朝であるこの世に棄物など無い、聖人のおさめる世にはすたるものはないの意とか…。
お菓子は銘々皿に黒文字を添えて美濃忠の「秋のいろ」、美味しい上生菓子でした。

裏千家の本席掛物は、墨蹟鮮やかな天龍寺和尚筆「日出海天清」。(対句の一方です)
日(ひ)出でて海天(かいてん)清し。(解釈はきっとそのまま)
お菓子は松川園の「田道間守」、橘の実が天辺に描かれた上用で、ご時勢に合わせ一個づつラップに包まれていました。

田道間守(たじまもり)がとても気になりました。

以下は『日本国語大辞典』の解説です。
「新羅王子天日槍(あめのひぼこ)の子孫。記紀に垂仁天皇の命で常世国(とこよのくに)(長生不死の国)に渡り、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(=橘)を持ち帰ったが、すでに天皇は亡くなっていたため、陵に献上して悲嘆のあまり死んだという話が伝えられている。」

この伝説から、田道間守は菓祖として祀られることになります。
明治二十年代、京都の菓匠会が学者文化人との協議をふまえて田道間守を菓祖神とし、後に歴史画家谷口香嶠画伯によって神像が描かれています。

お菓子にちょっとした謎かけ(橘の実・田道間守)がなされていたお席でした。
これも席主の遊び心の賜物と感服しました。

矢張り、お茶席は楽しいです。ハイ。(^^)