連理木は養生中

名古屋・城山八幡宮の裏手にある「連理木」は、フィルムが巻かれていて只今養生中でした。
晩秋・初冬の頃にはフィルムが外されて、連理の姿が見られるかもしれません。

今日は久しぶりに城山八幡宮・洗心軒の茶会に出かけてきました。
席主さんは、志野流・蜂谷なをみ氏と裏千家・大塚宗祥氏のお二人。

志野流の本席の掛物は先々代・頑魯庵宗匠による洒落た画賛「月に鴈」。
賛は「ちょっと出てまたちょっと出て」だったような…。(違っているかも)
唐物手付き籠には様々な秋の花を入れ、さながら「中秋の名月」を予感させる趣きでした。
小ぶりの風炉・釜と芋頭の三島手の水指の取り合わせが、如何にも志野流と感じいる風情でした。

裏千家の本席の掛物は鵬雲斎大宗匠の堂々たる一行「無心帰大道」(無心にして大道に帰す)。
大道(だいどう)とは悟り、文言の意味はそのままですが、無心の境地に達することの難しさは日々痛感しているところです。 (^^)
11代玄々斎創作の茶箱「月の点前」でなされたお点前に目を見張りました。
※寄り付きの茶箱は「菊の置き上げ」、そして本席の茶箱は見るからに手の込んだ豪華な竹林蒔絵の一品でした。

時間の関係で、器据を拡げてセットした状態から始まりましたが、月の点前の優雅さ・美しさは十分に伝わってきました。
月の点前とは思いもよらず、個人的には懐かしさを覚える至福のひと時となり、席主さんの心配りに感謝した次第です。

茶筅を立てるために器据に挿す逆U字形のウグイスは、玄々斎が香道で用いるウグイスから考案した道具のように思われます。(玄々斎は志野流香道の門人だったとか…)
香道で用いる金属製のウグイスについては諸説あり、先代家元・幽求斎宗由宗匠は「香道の心得・如月」で次のように記されています。

「香具の中にまたの名を〝鶯〟と称し、答の記してある出香紙を順序の変らないよう差し止める細い金属製の〝香串〟があります。この謂れを探ってみますと、出雲大社の、年に一度開かれる鶯門を神が通られるとのことから、神に紙をかけたとか、宇佐・熊野・伊勢・住吉の四神の頭字を取り、同じく神に紙をかけて、もじったものといわれたり、また、東福門院が―あかなくにをれるばかりぞ梅のはな香を尋ねてぞうぐひすの啼く―の古歌から名付けられたともいわれています。そのほか一、二の説もありますが、その思い付きにはなかなか興の深いものを覚えます。このように私共は年中〝鶯〟を眼のあたりにしている次第です。」

ともあれ、お天気にも恵まれ、楽しいお茶会でした。
久しぶりに出かけたせいでしょうか、帰宅してから疲れがドッと出てしまいました。 (^^)

今日は二十四節気の「秋分」。(黄経180度)
『暦便覧』には「陰陽の中分なればなり」とあります。ナ~ルホド!

太陽は(ほぼ)真東から昇り、真西に沈む日となっています。
今日の名古屋の日の出は5:40、日の入は17:49でした。
日の出・日の入の時刻の定義は「太陽の上辺が地平線(または水平線)に一致する時刻」となっていますから、昼間が12時間より若干長くなることは確かに頷けます。(深入りすると藪の中に入りそうです…)

彼岸の中日にあたり、彼岸にも咲いているかもしれない天界の花「彼岸花・曼殊沙華」が公園で満開です。