豊国神社月釜

久しぶりに名古屋豊国神社の月次茶会に出かけました。
天気予報で今日の気温は4月並みと報じられていた通り、この時季とは思えないほどの温かさでした。

今日の席主さんは、桐隠席が裏千家の田中宗法氏、豊頌軒が志野流の蜂谷宗玄氏でした。
裏千家の席で特に印象に残っているのが九谷焼の六角の水指(永寿作)で、色合いと絵柄にしばらく見とれてしまいました。
棚は三千家好の「三友棚」(表完作)。
本歌は明治初年に四個作られ、松材の円形天板と方形地板は表、竹の二本柱は裏、こぼれ梅の蒔絵は武者小路がそれぞれ好んで合作した棚といわれ、三千家と大徳寺がそれぞれ所蔵しているようです。
お菓子は川口屋のきんとんで白地に緑があしらわれ、「雪間の草」との銘を聞いた時には、利休が今一首好んだという歌を思い出しました。
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春をみせばや 家隆
ご亭主の思いのこもったお菓子と銘とに感じ入りました。(^^)

志野流席の床に掛けられていたのは、鴬?を詠んだ歌が認められていた内曇りの短冊でした。
意表を突いた形の花入(外国製?)には、菜の花、雪柳、貝母が入っていました。
席主さんがひときわ強調されていたのは寄り付きで展観されていた染付の「誰が袖香合」。
最後に再度寄付きにうかがい眺めましたが、大きさといい、袖のような形といい、染付の具合といい、ほれぼれとする一品でした。
誰袖は棗をはじめとして、茶道具の文様に広く取り入れられています。
宗哲の即中斎好「誰か袖棗」春秋一双は、意匠のすばらしさから一世を風靡した記憶があります。

「誰が袖香合」は型物番付西方五段目にある香合です。
もしやと思い、2013年に愛知県陶磁美術館で催された「形物香合番付の世界」展の図録を眺めてみましたが、残念ながら同展には出品されていませんでした。
今日の出会いは、まさに「一期一会」だったのかもしれません。 (^^)

久しぶりの大寄せ茶会でした。
記念館玄関脇にある梅の一木には、紅・白の花が見ごろを迎えていました。