啓蟄

今日は(から)二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」。(黄経345度)
天明七年の『暦便覧』には「陽気地中に動き、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也」とあります。
『新歴・旧歴カレンダー』には「冬の間地中に巣ごもりしていた虫が冬眠から覚めて、戸を啓(ひら)くという意味である。さまざまな虫が地上に姿を現す。中国では漢時代に「啓」が第六代皇帝の諱(いみな)であったため、驚蟄と改められた。」とあります。

冬眠、巣ごもりしていた虫たちが蠢きだし、地上に這い出てくる頃の意となっています。
でも、今日の名古屋の最高気温は7.2℃と空気は冷たく、加えて雨降りの一日で、這い出ようとした虫も首を引っ込めたのではないでしょうか。 (^^)

公園では、ユキワリイチゲ【雪割一華】、セツブンソウ【節分草】の花が咲いていました。

※ユキワリイチゲ

※セツブンソウ

一昨日の上巳の節供に因んで、京都・下鴨神社で行われた流し雛の様子がYouTubeにアップされていました。
古式装束をまとった親王・内親王、そして舞妓さん・児童たちが境内を流れる御手洗川に雛を乗せて流していました。
現代においては、これも観光行事の一環となっているのかも…。

上巳の節供は終わりましたが、昨年5月5日の朝日新聞に節句の歴史について、Q&Aの囲み記事が載っていたのを思い出しました。以下、印象に残った事柄をいくつか列挙します。

・節句は「季節の節目となる日」として、中国から奈良時代ごろに日本に伝わったとされ、平安時代には男女関係なく厄除けをする宮廷行事として発展し、江戸時代になると特に重要な「五節句」が正式な祝日(式日)になり、祝うことが奨励されたそうです。
・由来とされている「陰陽五行説」では、「奇数は陽」「偶数は陰」で、奇数の日を足して偶数になる日は「陽から転じて陰になりやすい」とされていたことから、この日に身についたけがれを流したり、厄払いをしたりする行事が宮中であったそうです。
・鎌倉時代以降、武家社会に移行するなかで「端午の節句」が男児の武運や成長を願う日に転じ、江戸時代には町人文化の発展とともに庶民が鯉のぼりを飾るようになり、特にひな人形を飾る雛祭は盛大になったようで、見かねた幕府が人形の寸法などを規制するようになったとか…。
・三月三日を女の子のひな祭り、五月五日を男の子の成長を願う日として祝うようになったのは江戸時代ごろとされているようです。
・新暦に移行した後、明治政府は五節句を廃止したが、民間に親しまれていた風習はなくならず、お店で人形がいつでも買えるようになり、むしろ多くの家庭に広まったそうです。

以上、六日の菖蒲の講釈でした。

ところで、今日からNHKEテレ「趣味どきっ!」で茶の湯・藪内家が始まりました。(全4回)
第一回は、藪内家の節分行事と薄茶の客作法。
見て楽しい、親しみやすい構成になっているように感じました。
次回以降も楽しみです。