横浜・大本山総持寺

昨日29日は、横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山總持寺で催された松栄堂主催「お香とお茶の会」に出かけました。
8月9日に畑正高氏が71歳で急逝された後を御子息・畑元章氏が引き継がれての開催でした。

会場の曹洞宗・大本山總持寺のスケールは実に壮大でした。

※三門

設けられたお席は、香席(志野流二席・御家流一席)、薄茶席(表流・裏千家)、煎茶席(松月流)、そして点心席でした。
志野流二席の組香は、乱箱で初冬香と時雨香でしたが、お昼近くまで既に満席。
午後の都合を考え、なるべく早い時間に香席に入りたいということで、香席は御家流の選択となりました。
組香は「月見香」。
香道御家流二十三世宗家・三條西堯水宗匠の解説でお席は始まりました。

上記の並びから、「夕月」から「有明月」までの名目は、月・月・月の「十五夜」を中心に月の出を考えるととても良くわかります。
ウ・ウ・ウの説明のところで、意味として月が見えない「新月」の名目となるところを「雨夜」としたところに妙がある旨のお話があり、いたく感心しました。(上記、聞書の名目順は並べ替えてあるようです)
「雨夜」なら当然の如く月は見えないのですが、名目の流れからは「新月」の意というところに「目からうろこ」の思いでした。
「なるほど、まさしくその通りだ」と思いを新たにしました。

次に入ったお席は裏千家の薄茶席。
床の掛物は「落葉両三片」で、『茶席の禅語大辞典』を見ると「落葉一二片」の類語として載っていました。
両の文字は「ふたたび」の意と解釈してみました。

次に入ったのが松月流家元・渡辺宗敬宗匠の煎茶席。
お席の設えは置き床に三具足を飾られ、この夏に旅立れた畑正高氏をしのぶ追善の趣きでした。
ひとしきり急逝された畑正高氏との思い出・同氏の懐の深さに触れられ、衷心より哀悼の面持ちでした。
掛物は「会者定離」。
人の命に限りがある以上、出会った人とはいつか必ず別れの時が来るのが定めとは云え、喪失感は如何ほどかと推察した次第です。
印象深い言葉がありました。(文言通りでは無いような気がしていますが…)
「出会いの数が多いほど優しくなれる、別れの数が多いほど強くなる」

煎茶席のお菓子は清月の「追憶」、茶名は会記には一保堂の「来光」とありましたが、急遽「薫風」に変更されたとか…。(某TV番組の影響?)

予定通り三席を終えると丁度お昼時になっていましたので、即点心席に向かいました。
用意されていたのは、会券にある「おしのぎ」のイメージの食事ではなく、「五観の偈」の箸袋が添えられた禅寺の御器のお膳でした。(箸と箸袋は持ち帰りでした!)

私が参加した「お香とお茶の会」で、このような「おしのぎ」は初めてです。(ありがたいことです!)

午後は、横浜に来たからには「中華街」を外す手はなく、横浜駅から電車で中華街へ直行…。
土曜日だからでしょうか、大勢の人・人・人で賑わっていました。
お店に入り、定番の小籠包などをいただき、本日の予定は無事終了と相成りました。 (^^)

 

帰宅してから、畑正高氏が師事されたのは長生庵だったことを思い出し、表流・長生庵席の設えは如何であったのだろうか、今次お席に入りそこねるとは……と深く反省後悔した次第です。

外組59番【風雅香】

香六種 一二三四五六

右、六種の香の内にていづれなりとも二種を二包づつに認め、一包づつ試すべし。後四包は一包づつに認め無試に組むなり。聞き様は、先ず試香二種終りて出香六包打ち交ぜ炷き出す。試み聞きたる香は何炷目と何炷目に出たるという事を聞き定めて、名目にて名乗紙に書き付け出すべし。たとえば試したる香三炷目と六炷目とに出たると聞くは、なすらへ歌、祝歌と書き付け出すべし。是、三番と六番なれば当りになるなり。余是に准ずべし。名目左のごとし。

一 そへ歌   二 かそへ歌
三 なすらへ歌 四 たとへ歌
五 たたこと歌 六 祝歌

又、記録本香の所は一二三四五六と認め置いて、出たる番に印を付ける。尤も場所合ても一二の違ひあれば当らず。考ふべし。なお記録の面にて准知有るべし。

(記録例 略)

きろく是に准ずべし。