香道一口メモ(5)

今日は旧暦の八月一日、やっと「仲秋」となりました。

香道一口メモも5回目、なんだか追い立てられているような気分になっています。
かなりの分量となりそうですが、休憩を入れながら、順不同でアップしたいと思っています。

香道一口メモ(5)【聞香②】

かおりを聞くとは不思議だが、平安時代は「五月待つ花橘の香をかげば」(古今集)「匂どもの勝れたらむどもをかぎ合せて」(源氏物語)で、かぐ。鎌倉時代も書典に「はなに香をかぐもこのきく、同事なり、聞香とかかれたり」と聞の字をあてているが、かぐ。聞くと言い始めたのは江戸時代のことらしい。浮世草子、浄瑠璃に見られ出す。

「五月待つ花橘の香をかげば」と聞くと、香道の組香では「五月香」を思い出します。

「さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」(よみ人しらず)(古今和歌集巻三夏歌/和漢朗詠集173)

[現代語訳]川口久雄『和漢朗詠集』による。
五月を待って咲く橘の花、その香をかぐと昔の恋人が袖にたきしめていた香のかおりがします。
[語釈]◎五月待つはなたちばな=橘は五月になって咲くからいう。◎袖の香=昔は衣服に香をたきしめた。

「五月香」では、この歌が証歌として引かれていますが、この歌は『伊勢物語』60段「花橘の」にも出てきます。
片桐洋一編『伊勢物語・大和物語』(角川書店)から引用します。

◆昔、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、「まめに思はむ」といふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりて、いだしたりけるに、さかななりける橘をとりて、
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
といひけるにぞ、思ひいでて、尼になりて、山に入りてぞありける。◆

一見、ロマンチックな歌のように聞こえますが、盃と共に詠まれた歌に、今は人の妻になってしまった後ろめたさを女は恥じて、尼になって仏門に入ったと云うのですから、なんだか深~い意味ありの歌と云えなくもありません…。

ところで、今は「左近の桜、右近の橘」で知られる橘は、花と同時に実を付けることで知られています。
京都御所や冷泉家で見る事が出来ますが、特に冷泉家では、左近として桜と梅の両方が植えられているという念の入れようです。

橘

なお、六十一種名香に「盧橘(はなたちばな)」(木所は真那賀)があります。
橘はミカンの古名といいますから、名の通り、歌の通り、匂いはそれなりに強いのかもしれません。

と、ここまで書いて、ハタと思い出しました。
組香には、この歌を証歌とするものがもう一つありました。「盧橘香」です。

香は三種で、
葉として 四包で内一包試
花として 二包で無試
実として 一包で無試

聞き方などは、またの機会に…。

源氏物語は、もう…パスです!

と思いましたが、岩波古典文学大系『源氏物語 三』の「梅枝(むめがえ)」の中にありました。(同本160頁)
「…匂ひどもの、すぐれたらむどもを、かぎ合はせて、…」でした。