「手鑑 翰墨城」と古筆家
MOA美術館所蔵の「手鑑 翰墨城(かんぼくじょう)」は、奈良~室町時代のもので、伝来は古筆家、益田家とあります。(益田家は益田鈍翁)
古筆家(こひつけ)とは、聞きなれない家柄です。
調べますと、平沢弥四郎(後の古筆了佐/1572年生まれ)は、京都で古筆鑑定の術を体得し、豊臣秀次より古筆の姓を名乗る命を受けたとあります。
以後、古筆の鑑定を専業とし、古筆了佐として古筆鑑定の第一人者になっています。(了佐は出家後の名)
手鑑は、代表的な古人の筆跡を集めて帖としたものです。
世に、四大手鑑(三大手鑑+一)と称される手鑑があり、全て国宝になっています。
1.藻塩草 [京都国立博物館]
2.見ぬ世の友 [出光美術館]
3.翰墨城 [MOA美術館]
4.大手鑑 [陽明文庫](近衛家煕編集)
鑑定には「極(きわめ)」が大切で、「極札(きわめふだ)」という、それが確かなものであることを証明した短冊型の小札等を古筆に添えたと云います。
そこで、鑑定と云う大切な役目を担ったのが古筆家(こひつけ)で、上記の1~3は古筆家(古筆家別家を含む)が鑑定した手鑑になっています。
4は近衛家煕が編集した手鑑だそうです。
上の写真は、「翰墨城」の一部で、伝藤原行成とあり、古筆の右上に「極札」らしきものも見えます。
古筆家から益田家に渡ったいきさつは知りませんが、明治維新の激動期に多くの古美術が受難の時代を経てきたことを思うと、海外に流出することなく国内で所蔵され、今でも実物を見られることは幸せなことだと思います。
「手鑑 翰墨城」の存在は、先日のMOA美術館で初めて知りました…。
数日たった今でも、(恐るべし、翰墨城!)といった気分です。