鵜飼蒔絵金輪寺写

鵜飼の記事が続いていますが、今日も鵜飼です。

桜田門外の変(1860)で亡くなった近江彦根藩主・井伊直弼(宗観)の遺愛の棗として「十二月棗」があります。
それぞれ塗り方と形が異なる、花鳥を描いた十二個の茶器で、八代宗哲の作となっていますが、六月の茶器が「撫子に鵜飼蒔絵透漆塗金輪寺」(なでしこに うかいまきえ すきうるしぬり きんりんじ)です。

本歌は井伊家が所蔵していますが、その「写し」は手ごろな?価格で市販されています。

鵜飼蒔絵

図鑑に載っている本歌の茶器と比べてみますと、鵜舟、篝火、鵜、波紋、撫子と描いてあるモノとイメージは同じですが、個々の絵ははっきりと異なることがわかります。

写しとはそういうもの、と聞いたことがあります。

作家は、本歌と全く同じものはプライドにかけて絶対に作らないというのです。
本歌と同じものを作ろうと思えば、勿論作ることは可能でしょうが、本歌に敬意を表して、似てはいるけれど異なる作品に仕上げるのだそうです。

なるほど!と思います。(o^-^o)