三舟(さんしゅう)の才

広辞苑によると、三舟(さんしゅう)の才=三船(さんせん)の才。

漢詩・和歌・管弦の三つすべてに堪能なことで、藤原公任(きんとう)、源経信(つねのぶ)が知られています。

広辞苑には次の記述があります。
「一条天皇の時、藤原道長の大堰(おおい)川の紅葉狩に際し、詩・歌・管弦に通じた藤原公任は和歌の舟にのり、「朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき」と詠じて賞せられた。また、白河天皇大堰川行幸の際、詩・歌・管弦の3舟を連ね、諸臣の長所に従って乗らせたという故事による。」

歴史書『大鏡』(作者不詳)の中に「三船の才(公任)」があります。

該当部分の口訳を『鑑賞 日本文学第14巻 大鏡・増鏡』(角川書店)から、少し長くなりますが引用します。

■ある年、入道殿下道長公が大井川に舟遊びあそばされた時に、漢詩の船・音楽の船・和歌の船と三つにおわけになり、それぞれの道に定評のあるかたがたをお乗せなさいましたところ、ちょうどこの大納言殿(公任)が参られたので、入道殿下が「かの大納言は、どの船にお乗りになるつもりか」と仰せられたので、「和歌の船に乗りましょう」とおっしゃって、さてお詠みになったというのが次の和歌ですよ。

をぐら山あらしの風の寒ければもみじの錦きぬ人ぞなき
-両岸の山、小倉山と嵐山の山風が寒いので、山風に散りまがう紅葉を身にうけて、だれもが錦の衣を着ているように思われることだ-

みずから願って和歌の船をお請いなさったかいがあって、みごとにお詠みあそばしたものです。あとで御自身もおっしゃったということですが、「あの時、漢詩の船のほうに乗ればよかった。そうして、この和歌ぐらいの詩を作っていたら、名声も一段と違っていたろうにな。ほんとに残念なことをした。それにしても、道長公が、『どの船にと思うか』と仰せられたのには、われながら得意にならずにはおれなかった」とおっしゃったそうです。一芸一能にすぐれるだけでもめったにない事であるのに、このように詩・歌・管弦の三才に卓越しておられたというのは、昔にもないことです。■

これは、藤原公任の多能ぶりを示す説話となっています。

また、源経信(つねのぶ)にも同様の説話があるそうですが、こちらは公任(きんとう)の説話より芝居がかっているようです。

上記の本には、以下の記述があります。

◆◆帥民部卿(経信のこと)、又、この人(公任をいう)に劣らざりける。白河院、西川に行幸の時、詩・歌・管弦のふねを浮べてその道の人々をわかち乗せられけるに、経信卿遅参、ことのほかに御気色あしかりけるに、とばかり待たれて参りたりけるが、三の事を兼ねたる人にて、みぎはに跪きて、
「や、どのふねまれ、寄せよ」
といはれける。時にとりていみじかりけり。かくいはん料に、遅参せられたりけるとぞ。さて管弦のふねに乗りて、詩歌を献ぜられたり。三舟に乗るとは是なり。(『十訓抄』第十)◆◆

管弦の舟にのって、詩歌を詠むのですから、ここまでくると流石に「やりすぎ~」といった感じでしょうか。