露衣風心

5月の和楽会は「初風炉」。
床には蘇人和尚の「動中静」(どうちゅうのじょう)が掛かり、鉄線籠には紫露草とシモツケ(下野)が入りました。

「動中静」とは、静かなところでしか保てないような心の静けさは、本当の心の静けさではないという意で、目まぐるしく変化する忙しいところでも、心を静かに保つことができるようになってこそ真の境地に達したといえる、と『茶席の禅語大辞典』にはあります。
さらに、心の静けさとは、何物にもとらわれることなく、水がさらさら流れる様にはたらき続ける心の状態をいう、と続いています。

そんなことを云われても…。

午後になってから、城山八幡宮の「洗心茶会」に出かけました。
席主さんは、裏千家・中井宗有氏と裏千家・大塚宗祥氏のお二人。
中井氏のお席では、瀬戸織部の絵模様のある釣瓶形の水指がとっても珍しく、思わず見とれてしまいました。

大塚氏のお席で、床に掛かっていたのは鵬雲斎大宗匠の一行竪物「露衣風心」(ろえふうしん)。
拝見した際、何故か一陣の清風が身体を通り抜けたように感じました。

「露衣風心」とは、文字通り、露を衣とし風を心とする自然と一体になった清々しい境涯、と『茶席の禅語大辞典』にはあります。
天地を我が家とし、一切の執着から離れて、飄々と風のように生きる洒脱な境涯のことを云っているようです。

これまた、そんなことを云われても…、です。

でもでも、そんな境地に少しでも近付くことができたら…、とは常々思っています。

ともあれ、美味しいお茶を頂戴して「洗心軒」を後にしました。
参道の脇に、雨にぬれた純白の花が群れていました。