稲負鳥は朱鷺(トキ)
組香「鳥合香」(とりあわせこう)は、古今伝授で知られた「三鳥」をモチーフにして組まれています。
とはいうものの、三鳥とはどんな鳥でしょうか?
三鳥については諸説あるものの、普通は百千鳥(ももちどり)、稲負鳥(いなおほせどり)、呼子鳥(よぶこどり)をいうようです。
◆香は四種
百千鳥として 二包で内一包試
稲負鳥として 同断
呼子鳥として 同断
客 として 一包で無試
◆聞き方
試みを終えた後、出香四包を打ち交ぜ、内二包を取り炷き出します。
なお、記録紙には答を二列に併記します。
これが合物(あわせもの)のような形式となっていることから鳥合香の名があるようです。
◆メモ
三鳥が詠まれた歌が古今和歌集にあります。
もゝちどりさへずる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく (よみ人しらず/春哥28)
わがかどにいなおほせどりのなくなべにけさ吹く風にかりはきにけり (よみ人しらず/秋哥208)
をちこちのたづきもしらぬ山中におぼつかなくも喚子鳥かな (よみ人しらず/春哥29)
さて、三鳥は具体的にどんな鳥なのでしょうか。?
日本国語大辞典には、古今伝授の三鳥に関わる説明として、次の様な鳥が挙げてあります。
百千鳥…うぐいす(鶯)。
稲負鳥…不詳。セキレイ、トキ、スズメ、クイナ、バン、タマシギなど。
呼子鳥…かっこう(郭公)、ほととぎす(杜鵑)など。
このうち、稲負鳥について新たな発見がありました。
冷泉家時雨亭文庫の会報に、藤原定家の日記『明月記』の翻刻がこの春完結したのを受けて、担当された田中倫子氏の「冷泉家文書研究会のこと」と題した寄稿文のなかで、「(前略)古今集の正体不明の鳥の一つ稲負鳥(イナオホセドリ)を、定家のライバル家隆が朱鷺と考えていたことが確定する。」との記述がありました。
鎌倉初期の歌人で定家と並び称され「新古今和歌集」の撰者の一人でもあった家隆が、稲負鳥を朱鷺(トキ)と考えていたことが確定となると、不詳とされてきた稲負鳥の捉え方が、これから変わってくるのかもしれません…。
ところで、その朱鷺(トキ)。
日本古来種は一時絶滅したものの、中国から譲り受けたトキの繁殖が長年の努力によって実を結び、現在では自然環境の中で放鳥されるまでになっている特別天然記念物です。
とき【鴇・朱鷺・桃花鳥】と国語辞典にはあります。(難しい字です!)
江戸時代までは日本国内に広く分布していたようですが、明治に入ってからの肉食文化と羽毛の需要増加に伴なって、トキは乱獲され個体数は激減し、遂にはいったん絶滅に至ったというわけです。
トキの淡いピンク色の羽根は、それはそれは美しいものです。
私が見たのは茶の湯で用いられる「羽箒(はぼうき)」で、トキの羽根で作られたものでした。
勿論、現在ではトキの羽根を入手することは不可能ですので、明治時代(大正時代も?昭和初期も?)に作られたものが今に伝えられている事になります。(天然記念物に指定されたのは1934年。)
その美しい色合いから、特に茶道をたしなむ女性にトキの羽箒は好まれたようです…。
※「日本の野鳥」(山と渓谷社)より
■
全くの余談ですが、古今伝授の一つ「三木・三鳥」の三木については、普通は(をがたまの木)、(めどにけづり花)、(かはな草)を云うようです。
徳川美術館北口のアプローチには「からたね(唐種)おがたまの木」が数本植えてあります。
春には芳香を漂わせる大ぶりの花を咲かせます。
当ブログの一番上にあるスライド写真三枚の内、花の写真が「カラタネオガタマ」の花です。(^O^)