氷室香

暑い!
猛烈に暑いです!
加えてまとまった雨も降りません。
名古屋は今週も晴れマークが並び猛暑日が続くとの予報です。(勘弁して~)

今はエアコンで暑さをしのいでいますが、一昔前は部屋に入る風の通りを良くしたり、かき氷を食べて身体の中から冷やしたりしたものです。
氷と云えば、江戸時代には加賀の氷室(ひむろ)の氷が江戸の将軍家までわざわざ運ばれていました。

氷室は、天然の氷を夏まで保存しておくために設けた小屋や穴のことと辞書にはあります。
なんでも旧暦の六月一日には、加賀から江戸まで120里(約480Km)の距離を昼夜4日間かけて運んだそうです。
そういえば、TV時代劇で大八車に杉葉や筵を掛けて、氷室の氷を運ぶシーンを見たような覚えがあります。(助さん・格さんも?)

加賀・金沢では旧暦月遅れの7月1日の行事として、今でも東京の加賀藩前田家ゆかりの地に雪氷をプレゼントしているようです。
また、金沢ではこの日に「氷室饅頭」を食べて健康を願うのが習わしとか…。
加賀藩御用菓子司「森八」のHPには、美味しそうな饅頭の写真がのっていました。

なお、宮中においても夏場には氷が献上され、そのための氷室が山城・大和・丹波・河内・近江に作られていたそうです。

氷室を題材にした組香に「氷室香」があります。
まだまだ暑い日が続くとは云え、一週間後には立秋(8/7)ですので、遅きに失した感は否めません…。
矢張り時季としては七月中旬あたりの組香でしょうか…?

◆香は五種
冬の名残として 二包で内一包試
消ぬ氷 として 同断
杉の下風として 同断
千年の夏として 二包で無試
客   として 同断

◆聞き方
千年の夏二包、客二包の計四包を打ち交ぜ、内二包除き残り二包を結んでおきます。
一(冬の名残)、二(消ぬ氷)、三(杉の下風)の試を聞いた後、
①一、二、三の三包を打ち交ぜて炷き出します。
②次に、結んでおいた二包を打ち交ぜて炷き出します。

◆記録紙
②で、二炷とも同香と聞けば「松か崎」、別香と聞けば「つけの」と書きます。

②で、二炷とも客・客と出たときは、出香の下に次の歌を書きます。
つげのゝにおほ山守がおさめたる氷室ぞ今もたえせざりける

②で、二炷とも千年の夏・千年の夏と出たときは、出香の下に次の歌を書きます。
凍ゐてちとせの夏も消せじなまつが崎なる氷室とおもへば

◆メモ
「氷室香」に関しては、志野流先代家元・蜂谷幽求斎宗由宗匠が某誌に寄稿されたという「香道の心得」の中で詳しく述べられています。
該当部分を以下に引用します。

冬の名残り、消えぬ氷、杉の下風、千年の夏と称する香と、客(客が持参する特別な香)との五種類の香で構成される「氷室香」には、
掘河院御時百首和歌 仲実朝臣
| つけののにおほ山守がをさめたる 氷室ぞ今も絶えせざりける
| こほりゐてちとせの夏も消えせじな 松が崎なる氷室と思へば
の二首の証歌がある。
つげは大和国の東北部にあった国名で奈良県山辺郡都介野(つげの)村[今は都祁村、たゞし都介野岳という山がある]にその名を残している。仁徳朝(五世紀前半)にはすでにこの地に氷室のあった記事があり、それより諸国に氷室を設置した。この地と氷室とを結びつけて古来多くの詩歌によまれている。なお、三重県に同呼称の町、柘植(関西線と草津線との接点)があり、神戸市の鳥原貯水池の南側にはつが(都賀)野の氷室という似通った地名があるようだ。都介野との関連はどうであろうか。
松ヶ崎は今の京都市左京区の松ヶ崎町[下鴨の北・高野川の西]で景勝の地。やはり多くの和歌によまれている。松ヶ崎氷室の旧址は宝ヶ池の東、丈ヶ谷といわれている。この東方には小野氷室があった。叡山線の町名が残されている。鷹ヶ峰の北西、山間の栗栖野(西賀茂氷室町)も名高く、附近に氷室の用を説いたという闘鶏(つげ)稲置大山主を祭ってある氷室神社があり、氷室と称する川が流れている。ほかに土坂、岩前、徳岡、宇多などと京都にはさすがに著名な氷の室址が多い。こうした所から宮廷に献上されたのだが、新潟の小千谷のそれは富士山の雪と共に江戸将軍家の台所へ運ばれたとか。