秋分の日・洗心茶会

秋分の日。
太陽が真東から昇って真西に沈み、ほぼ昼と夜の長さが同じになる日です。

因みに、今日の名古屋は日の出が5:41(方位は89.3°)、日の入りが17:49(方位は270.5°)となっています。
日の出入りの時刻は太陽の上辺が地平線に一致する時刻とされているので、昼の長さの方がどうしても長くなります。
なお、方位は北を0°として東回りに測った角度です。

秋晴れの下、城山八幡宮では洗心茶会が催され、午前中に出かけてきました。
席主さんは志野流・蜂谷なをみ氏と三斎流・森山宗浦氏のお二人。

志野流のお席の掛物は「和漢朗詠集」の「十五夜」の断簡で240~251番まですべて書かれたもの。
明日の中秋の名月に合わせて掛けられたようです。
籠花入には秋明菊がほころんでいました。

三斎流のお席の掛物は「本来人」の一行物。
「不東」の落款が有りましたから、細川護煕氏の庵号の不東かな…?と思いました。
「本来人」の意味は良く分かりませんが、禅語の「一無位真人」と同じような意味かもしれません。

『茶席の禅語大辞典』には「一無位真人」(いちむいのしんじん)の説明として、
[凡聖・迷悟・上下・貴賎などを超越して、なんら滞ることのない自由人。本来の面目に徹している人のこと。生身の肉体の中に階位を超えた真人がいるということ。]
とあります。

禅語には「本来面目」(ほんらいのめんもく)という言葉もあります。
[本来具えている真実の姿。何もかもすべて除き去ったところに残る、純粋な自己]と、同辞典にはあります。

なんとなく……です。

茶会の帰りに城山八幡宮の裏手へ廻って「連理木」を見てきました。
なんと、なんと、連理木にはポリが巻かれて「養生中」との看板がありました。
この夏は猛暑日続きでしたから、何か気になる兆候でもあったのかもしれません。

白居易の長恨歌から引かれた「比翼の鳥、連理の枝」は、男女の深い契のたとえとなっています。
「連理木」とか「連理の枝」と名付けられた木は、少なからずあるような気がしています。

「天に在っては願わくは比翼の鳥と作(な)り、地に在っては願わくは連理の枝と為(な)らん」