病膏肓に入る

病(やまい)膏肓(こうこう)に入(い)る

『日本国語大辞典』には次のような説明がなされています。
①不治の病気にかかる。また、病気が重くなって治る見込みがなくなる。
②ある物事に極端に熱中して、手のつけられないほどになる。

今年に入ってから、組香に引かれている和歌や漢詩の出典をぼちぼちと調べ始めています。
気が向いた時に図書館へ出かけていますが、これまでの進捗率は概ね半分といったところでしょうか。
まだまだ先は長いです。

超有名で簡単に出典に辿りつける和歌がある一方、組香で複数回お目にかかっている和歌でありながら出典に辿りつけないものもあります。

「えっ、どうして?」

そんな時は、意地でも辿りつこうとあれやこれやとアプローチしてみるのですが、立ちはだかる壁は高く分厚く、突破の糸口がなかなか見つからない和歌もあります。

でも、時には運よく辿りつける場合があり、そんな時はなんだかひと山越えたような気分になります。(山また山ですが…)

「四季香」に引かれたのではないかと思われる類似の歌がそうでした。

花も咲く紅葉ももみづ虫の音もこゑごゑおほく秋はまされり

(注)もみづ【紅葉づ・黄葉づ】… 秋になって、草木の葉が赤や黄に美しく色づく。(旺文社古語辞典)

平安朝の春秋歌合で、春の歌に対して詠まれた秋の歌となっています。

和歌に詳しい人に「花とあるのですが…」と聞いたところ、即座に「春は草、秋は花」との返答がありました。
そう云えば、春の七草は全て草ですが、秋の七草は万葉集で山上憶良が「萩の花、尾花、葛花…」と詠んだように確かに花です。
加えて、中国から伝来した菊の花は、平安時代以降すっかり秋を代表する花の一つとなっています。

上記の歌については、いずれまた「詩歌をちこち」で触れたいと思っています。

云うまでもないことですが、和歌にしても、伝書にしても、昔はすべて書き写したものですから、書写する段階で写し間違いや思い違いが生じ、語句の一部が変化したりすることは十分に考えられることです。

歌探しはまだまだ続きます。
息切れしないように、のんびり進めたいと思います。

とは云え、なんだか、どんどん藪の中へ入り込んでいるような気がしてなりません…。

詩歌をちこち 【住吉香】

|『詞花和歌集』巻第五 賀 一七〇
| 後三条院住吉まうでによめる  読人不知
きみがよのひさしかるべきためしにや かみもうゑけむすみよしのまつ

〔大意〕神も、我君の御命の久しくあるにちがいない証拠とするために植えたのだろうか、住吉のまつは。

*和歌出典『新編国歌大観』(角川書店)
*大意出典『新日本古典文学大系』(岩波書店)

※なお、『古今和歌集灌頂口伝』には「かねてぞうゑし」と記してあります。

暖冬の影響でしょうか、地植えのクリスマスローズが早くもニョキニョキと芽を伸ばしています。