鯛中鯛!ありました


焼いて身を解したあとの鯛は、賄いに回される。骨に残った身をこそげ取るうち、澪の頬が緩んだ。折らないよう慎重に、骨の一部を抜き取る。
「はい、ふきちゃん」
傍らの少女に、抜き取った骨を差し出した。
掌に載せられた鯛の骨をじっと見つめて、ふきは目を丸くする。
「澪姉さん、この骨、鯛の形に見えます。」
確かに、その白い骨は、丸い目と立派な尾を持つ鯛の姿に似る。
ええ、と澪はにっこり笑った。
「鯛中鯛(たいちゅうのたい)、と言うのよ。」
……

高田郁『みをつくし料理帖-夏天の虹-』(ハルキ文庫)に収められている「一陽来復-鯛の福探し-」の一節です。
昨日の夕食は、鯛の塩焼きでした。
ならば絶好の機会とばかり、「鯛中鯛」をはじめとする「鯛の九つ道具」を探しながらの夕食となりました。

ありました、ありました、鯛中鯛!

両側に一対あったのですが、片側の骨は残念ながら折れてしまいました。
他の「道具」のうち、4個ほど「これかなぁ~?」などと言いながら、見つけたことにしたのでした。
それにしても、鯛中鯛とはネーミングが絶妙です…。

「鯛の九つ道具」の名称と部位については、Webサイト「鯛の9つ道具-水産経済新聞」の記事がお薦めです!

「鯛中鯛」で思い出したのが「玄中玄」。

禅語の世界で、「三玄」即ち、体中玄・句中玄・玄中玄の三つ目の言葉で、奥深く深遠なさまを云うようです。
「形や行ないにあらわれない真理そのものとしての真理」との一節が『禅語大辞典』にありますから、修業を経て体得する真理の奥の真理とでも云えるのでしょうか、何だかよく解りません。

玄を重ねた玄玄と云えば、裏千家中興の祖・十一代玄々斎が頭に浮かびます。
玄々斎は三河松平家より十代・認得斎の養継嗣として裏千家に入った人(武士)で、幕末の大徳寺435世名僧・大綱宗彦(号:空華室・昨夢)に参禅しています。
玄々斎は茶室の整備や建白書の提出など、今日の裏千家茶道の基礎を築いた家元として、その名は広く知られています。

玄玄には「非常に奥深いこと。計り知れないほどに深遠なさま。」(日本国語大辞典)といった意味があるようです。

今日はメバル【眼張】の煮付けをいただきました。

「もしかして…」と慎重に身を解して骨をさがしたところ、それらしき姿をした骨がちゃんと一対でありました。

さしづめ「眼張中眼張」(めばるちゅうのめばる)といったところです…。

でも、骨の姿はイマイチ、更に漢字と読みにもシマリがありません。

矢張り「鯛中鯛」は「たいちゅうのたい」と云われるだけの事はありました。(^O^)