無事是貴人
師走の茶席によく掛けられる一行に「無事是貴人」があります。
読みは、ぶじこれきにん。
「無事である人こそが貴人である」の意でしょうが、問題となるのは「無事」の意味。
『広辞苑』を開いてみました。(勿論、電子辞書です!)
①取り立てて言うほどの変わったことのないこと。
(ア)事変のないこと。危険・災害・大過などが起こらない状態。平穏。
(イ)つつがないこと。健康なこと。
②自然のままで何も人為を加えないこと。
③ひまなこと。なすべき事がないこと。
わかりやすく、万人に受け入れられるのは矢張り①でしょうか…。
個人的には③も捨てがたいような気がしていますが…。(^O^)
さて、禅語的にはどうなのでしょうか…。
「無事是貴人」の一行を見て、何を感じ、何を思うかは人それぞれで、又それでOKのような気がしています。
因みに『茶席の禅語大辞典』(淡交社)には、次のように記してあります。(部分)
「無事とは無造作であること、平常の意であるとする。迷いはおろか悟りにも留まらず、ありのままであること。本来の自己に立ちかえった安らぎ。」などとあります。
矢張り、禅語は簡単ではありませんでした…。
今日の城山八幡宮の「洗心茶会」は、志野流と表千家の二席で、仕立ては異なりましたが、両席とも掛物は奇しくも「無事是貴人」。
今年を締めくくる茶会に相応しい禅語の掛物でした。(^O^)
志野流のお席には古銅の花入に越前水仙が、表千家のお席には一重切を掛花入にして西王母と初嵐、そして蠟梅が入れられ、お席に華やかさを醸し出していました。
お天気に恵まれ、あまり寒さを感じない穏やかな師走の一日でした。
※連理木です。