七夕の節供
今日7月7日は、五節供の一つ「七夕の節供」の日。
陽数(奇数)である七が二つも重なるお目出度い日です。
元はと云えば、旧暦の七月七日の節供ですが、明治五年の改暦に伴って新暦の日付にそのままスライドされて今日に至っています。
七月七日の夜には、天の川の両岸にある織女星(織姫)と牽牛星(彦星)の二星が、カササギ【鵲】の翼が架けた橋を渡って年に一度相会うとされています。(牽牛星=わし座のアルタイル、織女星=こと座のベガ)
京都・冷泉家では盛夏を外した旧暦七月七日に近い日で七夕の雅宴「乞巧奠(きっこうてん)」が催されています。
数年前には運よく参観の機会を得て、狩衣・袿袴姿で古式豊かに進行する雅宴に感動した覚えがあります。
南庭に設えた祭壇「星の座」に五色の布や琴・琵琶など各種の供え物を飾り、雅楽の演奏、和歌の披講、そして天の川に見立てた白布を間にして男女が歌を詠み交わす「流れの座」など、目の前に繰り広げられた宴は昨日の事のように蘇ります。
因みに、冷泉家では「七夕」と書いて「しっせき」、「二星」と書いて「たなばた」と読む習わしとか…。
※平成29年の「乞巧奠」名古屋公演のチラシ。
七夕に合わせて、茶の湯では「七夕茶会」などが催されてきましたが、コロナ禍での大寄せ茶会はまだまだ開催が難しいようです。
香道では「七夕」に因む組香がいくつか用意されています。
思いつくのは、「七夕香」「星合香」「玉橋香」「七炷香」あたりでしょうか…。
中でも「七夕香」は、種々の飾り物を施し、短冊に和歌を認めて笹竹に結ぶなど、単に香を聞き当てるだけではなく、ビジュアル的にも楽しめる組香となっています。(設えの準備が大変ですが…)
七月七日と云えば、玄宗皇帝と楊貴妃の深い契りを描いた白居易「長恨歌」を思い出します。
長~い漢詩の最後の部分は【比翼連理】の謂れとして良く引用されるところです。
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝
天長地久有時盡
此恨綿綿無盡期
ワイド版岩波文庫『中国名詩選』では、次のように訳されています。
「あの七月七日、長生殿の人々が寝静まった夜半、ささめごとを交わしたとき、陛下は誓ってくださいましたね。『天上に在っては翼をならべた鳥になりたい。地上に在っては一つに合わさった枝になりたいものだね』と。ああ、天は長く地は久しいとは申しましても、いつかは果てる日がくるでしょう。でもわたくしたちのこの恋は綿々として尽きる時はございません。」
そんなものでしょうか…?
七夕の行事は、中国伝来の「乞巧奠」と日本の「たなばたつ女(め)」の信仰が習合したものと云われています。
庭前に供え物をして、葉竹に五色の短冊などを飾りつけ、技芸の上達を願うのが習いとなっているようです。
唱歌には「たなばたさま」があります。
♪ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子
♪五しきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる
「空からみてる」というフレーズが妙に頭の片隅に残ります…。
ともあれ、新暦7月7日の今日は生憎の雨模様で二星を見ることは出来ず、天の川は渡れそうにありません。
それでも世に習い、笹竹をゲットして、飾り物をして七夕気分をちょっぴり味わうことにしました。(^^)
※天の川を渡る舟の「舵」にかけて「梶」の葉です。
今日は二十四節気の一つ「小暑」、そして七十二候では「温風至(あつかぜいたる)」の日でもあります。
「小暑」は『暦便覧』によれば「大暑来れる前なれば也」。
「温風至」は「暑い風が吹くようになる」とのこと。
しばらくは梅雨末期の豪雨が心配されるところです。
その後の猛暑も出来る事なら願い下げですが、自然の節理には合わせるほかありません。
暑い暑い夏の日が、もうそこまでやって来ています。
東京の今日のコロナ新規陽性者は920人。
なんと!