右近の橘/盧橘香

暦を見ると、昨日は(から)七十二候の「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」となっています。
文字通り、たちばなの実が黄色くなり始める頃のようです。
とは言うものの、身近にタチバナ【橘】の木はなく、黄色い実を見る機会は滅多にありません。

唯一「見た!」という記憶があるのは、初夏の頃に京都・冷泉家を見学した際に、緑々した葉の間に黄色い実が残っていることを確かめたときでした。(白い五弁の花は咲いていたのかしらん…?)
橘は常緑樹で、翌年の開花期まで黄色い実が残ることなどから縁起の良い木とされているとか…。

冷泉家の南庭には、京都御所と同様に「左近の桜と右近の橘」がちゃんと植栽されています。
なお、桜の木と共に梅の木も植えられているところが、如何にも「和歌の家」冷泉家という趣きでした。

橘※2017.9.20に用いた写真?ですが出典が不明です。 m(__)m

《余談》
・ホトトギスは橘の木に宿るとされるところから「たちばな鳥」の異名があります。
・タチバナの名は、記紀上で天皇の命により常世国(とこよのくに)(=長生不死の国)に渡り、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(=橘)を持ち帰った田道間守(たじまもり)の名に因むとか…。
・『ホトトギス新歳時記』(三省堂)には「昔は蜜柑類をすべて「たちばな」といった」とあります。
・橘の花「花橘」について、『新編 俳句歳時記 夏』(講談社)には、『大和本草』(1708宝永五年成立)に「タチバナト訓ズ、ミカンナリ、其花ヲ花タチバナト古歌ニヨメリ」とあるが別の説も種々ある、とあります。
・『角川俳句大歳時記』には、《「和漢朗詠集』の「花橘」に、白楽天が「盧橘子低山雨重、栟櫚葉戦水風涼」といへる句を選まれたり。疑ふらくは、これより後人、盧橘を花橘と訓ずるならし。》とあります。(詩:『和漢朗詠集』171)
・六十一種名香に「盧橘(はなたちばな)」があります。木所は真那賀、香味は苦酸甘。

タチバナ【橘】と聞くと、組香「盧橘香(ろきつこう)」を思い出します。

◆香は三種
葉として 四包に認め内一包試
花として 二包に認め無試
実として 一包に認め無試

◆聞き方&記録
試み終り、出香六包を打ち交ぜて炷き出します。
記録に名目があり、
|花が二炷とも聞き当たれば下に 花薫紫麝と書く
|実が聞き当たれば下に 枝繁金鈴と書く
|葉の聞きには名目はなし
※花は無試なのでつるびのみ、片当たりは点とならず。
全の人には聞きの下に歌一種を書きます。
五月まつ花橘の香をかけは
| むかしの人の袖の香そする
記録の奥に詩を書きます。
枝繁金鈴春雨後
花薫紫麝凱風程

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※和歌
『古今和歌集』 夏歌 139 よみ人しらず
さつきまつ花橘のかをかげば 昔の人の袖のかぞする
〔大意〕夏の五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、もと知っていた人の袖の香りがする思いだ。
*和歌出典『新編国歌大観』(角川書店)
*大意出典『新日本古典文学大系』(岩波書店)
*『伊勢物語』六十段に同歌。/*『和漢朗詠集』173

※漢詩
『和漢朗詠集』巻上 夏 172 後中書王
枝繋金鈴春雨後 花薫紫麝凱風程 

枝繋金鈴春雨後  枝には金鈴(きんれい)を繋(か)けたり春の雨の後(のち)
花薫紫麝凱風程  花は紫麝(しじゃく)を薫(くん)ず凱風(がいふう)の程(ほど)

〔現代語訳〕春雨の後、雨の滴(しずく)に濡れてつややかに光る橘の実は熟して枝に黄金の鈴をかけたようです。その花は、初夏の南風に咲き匂って、まるで麝香(じゃこう)を薫ずるようです。

*出典『和漢朗詠集 全訳注』(講談社学術文庫)
*後中書王(ごちゅうしょおう・のちのちゅうしょおう)=具平親王(ともひらしんのう)

※盧橘(ろきつ)について
『広辞苑』にはナツミカンの漢名、『日本国語大辞典』にはキンカンの異名、とあります。
どちらもミカンの類ですね。 (^^)