「天声人語」2025.5.2

「天声人語」2025.5.2(朝日新聞)

お茶の魅力とは何か。「ワインの奢り、コーヒーの自意識、ココアの無邪気な作り笑いがない」と書いたのは、美術思想家の岡倉天心である。1906年にニューヨークで『茶の本』を出し、日本をはじめとするアジアの美意識や価値観について西洋社会へ熱く語りかけた▼岡倉は英語で著し、お茶が持つ繊細な味わいや香りを伝えようとした。固形化した茶葉を煮出す、湯に浸して抽出するなど、多様なお茶の英訳が興味深い。「粉にして泡立てた茶」は、抹茶のことだ▼それから約120年。いまや抹茶は世界で人気の「Matcha」になった。抹茶ラテに抹茶チョコ、抹茶アイス。SNSでは「健康的なスーパーフード」として、鮮やかな緑色の抹茶スムージーを紹介する海外のインフルエンサーも▼農水省によると、緑茶の輸出額は昨年、過去最高の364億円を記録した。主な牽引役は抹茶だろう。インバウンド観光客にも土産の定番で、お茶の中でも特別な存在になった▼抹茶が世界で今ほど知られていなかった16年前、外交の場で一役買ったことがある。当時のオバマ米大統領が来日し、母親と鎌倉を訪れた少年時代に「私は大仏より抹茶アイスの方に魅せられた」と言って笑いを誘った。夕食会でも抹茶アイスが出され、感謝された▼きのうは立春から88日目の八十八夜だった。新茶がおいしい季節だ。岡倉がいたら、抹茶の変容ぶりに驚くだろうか。想定外の姿ではあるが、東西の架け橋になったと喜ぶだろうか。