「六歌仙」と「六国」

前回の記事は「六歌仙香」でしたので、今日は「六」がらみで、香木の「六国」との関係を追ってみたいと思います。

『古今和歌集』の「仮名序」で、歌仙と称された六人は、それぞれ次の様に評されています。※出典:『新日本古典文学大系』(岩波書店)

僧正遍昭…歌の様は得たれども、誠少なし。たとへば、絵に描ける女を見て、徒らに心を動かすがごとし。
在原業平…その心余りて、言葉足らず。萎める花の、色無くて、匂ひ残れるがごとし。
文屋康秀…言葉は巧みにて、その様身に負はず。言はば、商人の、良き衣着たらむがごとし。
喜撰法師…言葉微かにして、始め、終り、確かならず。言はば、秋の月を見るに、暁の雲に、逢へるがごとし。
小野小町…古(いにしへ)の衣通姫(そとほりひめ)の流なり。哀れなる様にて、強からず。言はば、好き女の、悩める所有るに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。 ※衣通姫=「古事記」「日本書紀」に見られる伝説上の美女。後世、和歌の神としてまつられる。(『旺文社古語辞典』より)
大伴黒主…その様、卑し。言はば、薪負へる山人の、花の陰に休めるがごとし。

紀貫之による六人の評価は結構辛辣です。
同書には、評された六人について、次の様な解りやすい「校注」が記されています。

僧正遍昭…歌体はよいが、こころ(ことばの真実)が足りないという。
在原業平…こころ(情感)はあふれるほどだが、表現することばが未熟で足りないという。
文屋康秀…ことばは巧みだが、その姿が作者の品格にあわないという。
喜撰法師…ことばが不明瞭で首尾が一貫しないという。
小野小町…しみじみとした感じを持ち、弱々しいという。
大伴黒主…歌体が卑しいという。

香道では、香木を分類するにあたって、木所は「六国」で表されているようです。※出典:『六国列香之弁』

伽 羅 …其のさまやさしく、位ありて、苦を主(つかさど)るを上品とす。自然とたをやかにして、優美なり。其品たとへば宮人のごとし。
羅 国 …自然に匂ひするど也。白檀の如き匂ひ有りて、多くは苦を主る。たとへば武士の如し。
真南賀 …匂ひかろく艶なり。早く香のうするを上品とす。匂ひにくせ有り。たとへばのうちうらみたるが如し。
真南蛮 …味甘を主るもの多し。銀葉に油多く出る事真南蛮のしるしとす。然共、外の列にも有也。師説を受くべし。真南蛮の品、伽羅を初め其余の列よりも賤しく、たとへば民百姓の如し。
寸門多羅…前後に自然と酸事を主る。上品は伽羅にまがふなり。然共、位薄くして賤しき也。其品たとへば地下の衣冠を粧ふたるが如し。
佐曽羅 …匂ひひややかにして酸。上品は炷出し伽羅にまがふ也。自然にかろく余香に替れり。其品、たとへばの如し。

六国と六歌仙を「六」つながりで、六歌仙の出自、身分などを考慮してなぞらえてみると、次の様になっています。※六歌仙の出自、略歴は省略

伽 羅 …宮人→僧正遍昭
羅 国 …武士→在原業平
真南賀 … →小野小町
真南蛮 …百姓→大伴黒主
寸門多羅…地下→文屋康秀
佐曽羅 … →喜撰法師

つくづく云い得て妙だと思います。(^O^)

※ムラサキツユクサの花が色んでいます。

なんだか、藪の中にどんどん入り込んでいるような気がしています…。