玄宗と楊貴妃
徳川美術館に展示されている、七夕に因んだ香木「玄宗」は、解説には六十一種名香と記されていましたが、「あったんだっけ?」と確信が持てなくて、あらためて調べてみました。
玄宗は唐の六代皇帝として、太平の世を作りだしたものの、やがて楊貴妃を寵愛し、政治をおろそかにしたため、「安禄山の乱」を招いてその座を追われたことで知られています。(楊貴妃は殺されましたネ)
日本国語大辞典に載っている、香木の名【玄宗】の説明です。
「分類は伽羅。六十一種名香に準じ、上馬(のぼりうま)に代えて六十一種に入れることもある。」
徳川美術館の蔵帳には、六十一種名香の内と記載されているようです。
現在流布している「六十一種名香」は、志野宗信が三条西実隆所持の六十六種名香を精選し、追加・入れ替えなどをして定めたものと云われていますが、六十一種名香の中に玄宗は含まれていません。
でも、江戸時代の書物『香道蘭之園』には、六十六種の内に玄宗が含まれていることから、徳川美術館の蔵帳に「六十一種名香の内」と書かれていても、何の不思議もありません。
ところで、玄宗と楊貴妃については、白居易の「長恨歌」に貴妃を失った玄宗の深い悲しみがうたわれています。
死んだ楊貴妃を忘れられない玄宗は、神仙の術を得た方士(ほうし)をあの世の国の貴妃に遣わします。貴妃の霊は、玄宗の悲嘆の様子を知って涙し、七夕の夜に二人で誓い合った言葉を打ち明けながら舞うと云うものです。
この長い詩の終わりには、
七月七日長生殿、夜半無人私語時
在天願作比翼鳥、在地願為連理枝
という、有名な文言がうたわれています。
また、能の曲に「楊貴妃」があります。
比翼連理といえば、夫婦や男女の仲がむつまじいことのたとえですが、とんでもない所にたどり着いてしまいました。
そういえば、「香道」の相伝の最後の最後は「連理香」を行うと、何かの本に書いてあったような記憶があります。
ともあれ、香木の「玄宗」と「楊貴妃」が展示してあるのは、さすが!と言うほかありません。
(o^-^o)
この時季の花、オカトラノオが咲いています。
*穂の先端に見える茶色の物体は、カマキリです。