名城市民茶会・野宮

秋晴れの下、名古屋城では名城市民茶会、菊花展、おもてなし武将隊の演舞などなど、多彩な催しが開かれていました。

お茶席の席主は、猿面席が裏千家の庄司宗文氏、広間席が志野流の神林宗有氏、そして野点席が松尾流の加藤宗桂氏。
猿面席は突上窓が開けてあり、室内から窓を通して天守閣が望める(望めた?)との説明がありました。

※扁額の文字は猿面。

広間席の炉縁は青漆に源氏香図があしらってありました。
志野流ならではの炉縁と思いましたが、席主さんから源氏物語に関連して「野宮(ののみや)」のお話が出ました。
組香でも「野々宮香」の名を聞いたことがあるとお話したところ、お隣の方からは能の曲目にも「野宮」があるというお話が出ました。

「野宮(ののみや)」は伊勢神宮の斎王の潔斎所。
黒木の鳥居を設け、柴垣をめぐらした所で、今では「野宮神社」として多くの観光客が訪れる嵯峨野の観光名所となっています。

源氏物語では、加茂祭の際に六条御息所が葵の上との車争いで恥辱を受け、怒った六条御息所は「生霊(いきりょう)」となって葵の上を苦しめるのですが、葵の上の死後、やがて御息所は娘の斎宮と共に「野宮」から伊勢へと向かって行きます。(苦し~い)

実は、blog記事を書いている今でも、「野宮」の話が出た理由は良く解らないままなのです。

茶席を終えてから、城内広場で開催中の菊花展を見学し、菊の秋を楽しみました。
菊の仕立て方にも様々なジャンルがあることがよ~く分かりました。

※第70回名古屋城菊花展で、菊文字は70。

※徳川家康(左)と尾張藩初代藩主・徳川義直。

定番の菊人形も入場門近くにありました。

香道一口メモ・51【源氏香①】

五種の香を五片ずつ計二十五片(個)作り、その中から適宜に五包を取り、聞き分け、香の異同を[香図(略)]などと縦の五線と横線で表す。組み合わせは五十二。図型は家系のつりの姿を模しているので系図香ともいう。この「源氏香之図」は香まくら、らん間のすかし、香茶器具、現代では婦人服・帯・ネクタイなどにも描かれ、商標にも広く用いている。

※原文の源氏香之図は、松風と匂宮です。