香道の心得・神無月
10月の異称の一つは「神無月」。
『広辞苑』には【神無月(かみなづき)】として、次のような説明があります。
「(「神の月」の意か。また、八百万(やおよろず)の神々が、この月に出雲大社に集まり他の国にいないゆえと考えられて来た。また、雷のない月の意とも、新穀により酒をかもす醸成月(かみなしづき)の意ともいわれる)陰暦十月の異称。かみなしづき。かんなづき。神去(かみさり)月。」
八百万の神が出雲大社に集まるとは不思議なことですが、確かに出雲大社本殿を取り巻く幾つもの小さな社の扉がこの月だけ開けられ、そして神々を迎えるという習わしは古くからあり、出雲地方では昔から誇りを持って旧暦のこの月を【神在月(かみありづき)】と呼んでいるようです。
HPを見ますと、出雲大社では旧暦に則って11月17日(旧暦十月十日)に、稲佐の浜で「神迎神事」が行なわれるようです。
出雲大社のすぐ西方にある日本海の海辺・稲佐の浜は、夏は海水浴場となる美しい砂浜で、海岸線は南西の方向にはるか遠くまで弓型のラインを引いていたような覚えがあります。
なんといっても、出雲は国造り神話の地で、ロマンを掻きたてる「神在月」は矢張りこの地に相応しい呼称と云えそうです。
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志野流香道先代家元・蜂谷幽求斎宗由宗匠(1902~1988)が月刊誌に寄稿されていたという「香道の心得-神無月-」の一節です。
香道の心得 ◆神無月◆ (1)
古典文学に拠るところの多い香道は、中でも自然の美しさを詠んだ歌や詩、それに花鳥風月そのものを貴び、それらを主題にした聞香式を数々生み出している。その点、秋は何かにつけ自然の事物に恵まれ、草花を取り上げれば、あざみ、萩、桔梗、朝顔、藤袴、尾花、くず、撫子、女郎花、秋ぎく等などと古今集・読人知らずの
緑なるひとつ草とぞ春は見し 秋はいろいろの花にぞありける
であり、この歌からは歌の主意に添って、春のひとつ草とぞに一種の香を、秋草には数種の香を配当させて「千種香」が、一花一草、例えは、三文字のあざみなら香三種、ききゃうは四文字であるが同字があるから三種の香、をみなへしなら香五種とし、その草花の字数に合せて香組みする小草香が作られている。
「千種香」
◆香は三種
一として 二包で内一包試
二として 三包で無試
三として 同断
◆聞き方
一の試みを終えた後、
二、三の香三包づつの六包に、一の香一包を加えた計七包を打ち交ぜて炷き出します。
※二、三の香は十炷香と同様に聞きます。
◆記録紙
当りに応じて、聞きの中段に(点数の上に)歌が書かれます。
・全当り …歌一首
・一の香当り、外の香不当 …上の句
・一の香不当、外の香当り …下の句
(二又は三の香のうち、三包とも通して当りの場合)
[歌]古今集 秋歌上245 よみびと知らず
みどりなるひとつ草とぞ春はみし 秋はいろいろの花にぞありける
◆メモ
歌の上句について、日本古典文学大系『古今和歌集』(岩波書店)には、次の頭注が記されています。
「みどりなるひとつ草とぞ春はみし」…どの草も緑の同じ草だと春は見た。次に、けれども、と置いて解す。
なるほど!…です。
一の香(一包)を、春のひとつ草に見たてているようです。
とすると、二、三の香は秋の色々の花ということになりそうです。
春といえば、古典では旧暦の一・二・三月を、二十四節気では立春から立夏の前日までを指しています。
その中でも、上記の歌の上句は、春をいち早く感じさせる草の芽吹きの頃をイメージさせるものがあります。
「春は草、秋は花」と、どこかで聞いたような気がします。
台風一過、ホトトギスが花茎をグングン伸ばしています。