旧重陽の節供

今日10月17日は旧暦の九月九日にあたり、最大の数九(陽数)が二つ重なる御目出度い「重陽の節供」の日です。
一昔前?なら、菊の被綿(きせわた)で身を清め、菊酒をたしなんで、不老長寿を願ったりしたかもしれません。

別称は「菊の節供」ですが、明治五年に旧暦から新暦(現行の太陽暦)に改暦された際、節供の日付を新暦の日付けにそのままスライドさせたことから、季節と若干合わなくなってしまった節供の一つとなっています。

9月9日では流石に菊の花は開きません。
月遅れの10月9日を重陽の節供として儀式を行っている神社もあり、その一つである春日大社では志野流香道の奉仕で献香式も行なわれたようです。
日本人は器用な民族だからでしょうか、9月9日、月遅れの10月9日、そして旧暦の九月九日と、三回の重陽の節供(菊の節供)を上手に使いこなしています。

肝心の菊はと云えば、鉢植えの嵯峨菊、秋明菊は共に蕾の状態で、開花にはもう二、三日必要なようです。

※秋明菊(貴船菊)の黄色い花芯が覗いています。

菊と云えば、組香では「菊合香」、「菊花香」、そして「重陽香」あたりでしょうか…。
そうそう、菊の異称には「齢草(よわいぐさ)」、「花の弟(おとと)」などがありました…。

名古屋外国語大学出版の『世界教養72のレシピ』をパラパラとめくっていたところ、「ナゴヤ学」-名古屋文化に息づく武士の精神-とのタイトルで書かれた蔵田敏明氏の一文が目に留まりました。(下は部分抜粋)

味噌カツ、味噌煮込み、″名古屋めし”は家康ゆかりの味

最近話題の″名古屋めし”は、なにかと味噌が使われる。八丁味噌という独特の赤みそである。三河名物で、岡崎城から西へ八丁( 八七〇メートル) 行った村で作られていたことから名付いた味噌である。家康の生誕地の名物であるが、今や名古屋の味である。
ほかにも、味噌煮込みに使われるきしめんも、名古屋城築城に深く関わっている食べものである。関西のうどんとは違い、平たく伸ばしたきしめんは、茹でる時間が短縮できる。土木工事の現場で、短時間で職人たちの腹を満たすために考えられた合理的な食べものなのだ。
名古屋の名菓であるういろうも、江戸時代に名古屋城下で作られたことが現代にまで通じている。なにしろ家康の好物に生せんべい(知多半島名物)というものがあり、ういろうを熨したような素朴な菓子は、ういろうの原点のようにいわれている。
名古屋城を拠点に、徳川家康の好みが、そのまま名古屋文化として発信されている。

ここまで小気味よく断言されると、すっかりその気になってくるから不思議です。
早速、「生せんべい」なるものを検索してしまいました。(^O^)