徒然なるままに…

「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
吉田兼好の『徒然草』序段です。

「つれづれなるまゝに」の意味として、何かしたいがすることもない、話し相手もない、ひとり居の所在なさにまかせて、との頭注を付けているのは『日本古典文学大系』(岩波書店)。

今まで、ゆったりとした静かな時の流れを「徒然なるままに」の文言に重ねていたのですが、「徒然」の意味は決して前向きの言葉ではないようです…。

その「徒然」を冠した香道の組香に「徒然香」があります。
つれづれなる想いを詠んだ白居易の詩「上陽白髪人」から組まれた組香となっています。

詩は、『新釈漢文大系 白氏文集一』(明治書院)の中に収められていますが、[解題]では次の様に記されています。(抜粋)

「上陽の白髪人」は、上陽宮に閉じ込められたまま白髪の老人になった宮女のこと。上陽宮は、東都洛陽の宮城の西南にあった宮殿。
「(後宮に閉じ込められて)婚期を逸した宮女の悲しみをあわれむ詩である」として、「天宝五載以降、楊貴妃が(玄宗皇帝の)寵愛を独占し、後宮では新たに(皇帝の寝所へ)進められて寵愛を得る宮女はいなくなった。後宮に美しい宮女がいると、その度に(楊貴妃は)その宮女を別な場所へ立ち退かせたが、この上陽の人も、そうした宮女のうちの一人である。(彼女は)貞元年間には、まだ存命していた」とあります。

※「天宝五載」は七四六年。楊貴妃はその前年、天宝四載(七四五年)の八月に二十七歳で貴妃に冊立(さくりつ)された。(時に玄宗は六十一歳)。「貞元」は徳宗皇帝の治世の年号(七八五~八〇四年)。

詩は次の句から始まります。※漢詩・通釈の出典は『新釈漢文大系』(明治書院)

上陽人      上陽(じゃうやう)の人(ひと)、
紅顔暗老白髪新  紅顔(こうがん)暗(あん)に老(お)いて白髪(はくはつ)新(あら)たなり。
緑衣監使守宮門  緑衣(りょくい)の監使(かんし)宮門(きゅうもん)を守(まも)る、
一閉上陽多少春  一(ひと)たび上陽(じゃうやう)に閉(と)ざされてより多少(たせう)の春(はる)ぞ。
玄宗末歳初選入  玄宗(げんそう)の末歳(まつさい)初(はじ)めて選(えら)ばれて入(い)る、
入時十六今六十  入(い)りし時(とき)は十六(じふろく)今(いま)は六十(ろくじふ)。
同時採擇百餘人  同時(どうじ)に採擇(さいたく)せられしもの百(ひゃく)餘人(よにん)、
零落年深殘此身  零落(れいらく)年(とし)深(ふか)くして此(こ)の身(み)を殘(のこ)す。

〔通釈〕上陽宮の宮女は、若く美しい顔をしていたのに、いつしか年老いて、近頃ではすっかり白髪頭。緑衣の監守が宮門の番をしていて外出もできない。こうして上陽宮に閉じ込められてから、一体どれだけの歳月がたったのであろうか。
(宮女は言う)「 玄宗皇帝の治世の晩年に、(私は)選ばれて初めて宮中に入りました。入った時は十六歳、今は六十歳です。
同時に選ばれて召された者は百人余りもおりましたが、長い年月の間に死んでゆき、今も生き残っているのは私だけです。

そして、美貌を楊貴妃に妬まれ、皇帝に逢うことも無く、上陽宮に秘かに送られ、一生を独り寝で過ごす身の上となった経緯に続いて、詩の中程に次の句があります。

秋夜長      秋夜(しうや)長(なが)し、
夜長無睡天不明  夜(よる)長(なが)くして睡(ねむ)る無(な)く天(てん)明(あ)けず。
耿耿殘燈背壁影  耿耿(かうかう)たる殘燈(ざんとう)壁(かべ)に背(そむ)く影(かげ)、
蕭蕭暗雨打窓聲  蕭蕭(せうせう)たる暗雨(あんう)窓(まど)を打(う)つ聲(こえ)。

〔通釈〕とりわけ長く感じるは秋の夜。眠れぬままに待っていても、長い夜はなかなか明けてはくれません。かすかに燃え残った灯火が壁際で憂わしい光を放ち、窓を打つ夜の雨音が淋しく聞こえてきます。

詩はその後も、無為に過ごす春秋を綴り、上陽宮の宮女の苦しみを切々と詠んでいます。

誠に悲しい物語です。(中国・唐の時代だけの話ではありません…。)

さて、そんな「上陽白髪人」に着想を得た組香【徒然香】です。

◆香は五種
宮外閨怨として 二包で内一包試
背壁残燭として 同断
秋夜雨 として 三包で無試
秋夜風 として 同断
上陽人 として 一包で無試

※香名は(きゅうがいけいえん)(はいへきざんしょく)(しゅうやのあめ)(しゅうやのかぜ)(じょうようのひと)と読みましたが、どうなのでしょう…。

◆聞き方と記録紙
試みを聞いた後、出香九包を打ち交ぜ炷き出します。

無試の秋夜雨、秋夜風はいずれも各同香と聞けば当りです。
全当りの人には、点数の上の処に長夜徒然、その下にと書きます。
一つでも外せば、点数の上の処に寝覚、その下に点数を書きます。
無聞はと書きます。

夢幻泡影(むげんほうよう)の如し、なんちゃって…。(^O^)

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昨日は、夢から覚めたかの如く久しぶりに出かけたのが名古屋・上飯田の「志ら玉」で行われた木曜会の月釜。

席主さんは永坂知足庵氏。
7月7日の七夕が近いところから、寄付きの床は遊び心に満ちていました。
掛物は、梶の葉を模した和紙に遠州流・小堀宗慶氏が和歌を認め、それを本紙に合体させたものでした。
柳掛けには、笹の葉を模した一枝に、京都・緑寿庵清水の五色の金平糖袋を吊り下げ、更に五色の紐が吊り下げられていました。
写真が無いのが残念です…。(^O^)