石川六兵衛女房奢之事
今日1月15日は「小正月」。
1月1日の「大正月」に対する称で、繭玉(まゆだま)を飾ったり、どんど焼きを行なったりするようです。
これも、元は旧暦正月十五日の行事です。
今朝は、餅入りの小豆粥をいただいて邪気を払い、無病息災を願いました。(^^)
昨日14日の朝は、起き抜けに外を見ると草木の上には数cmの積雪。
この冬、一番の雪景色でした。
万両の緑色の葉に乗った白雪、そして赤い実のコントラストにしばし見とれました。(^^)
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「香道一口メモ」の中に【おごりの香の事】①・②として、元禄時代、幕府によって身分に過ぎるおごりをしたという理由でとりつぶされた、江戸の豪商石川六兵衛のことが記してありました。
当時は「お話」の出処を気にも留めていませんでしたが、西山松之助著作集第二巻『家元制の展開』(吉川弘文館)の中に引かれているところから、江戸中期に成立した『江戸真砂六十帖』(えどまさごろくじゅうじょう)にあることが解りました。
※『江戸真砂六十帖』は、江戸で起こった珍事を書き記したもので、作者不詳。
上記の『家元制の展開』から該当部分を引用します。
「江戸町人の香道については、元禄二年(1689)の『江戸真砂六十帖』巻一の巻頭に、石川六兵衛女房奢之事という有名な一節がある。五代将軍綱吉の上野参詣に当たり、豪華に着飾った六兵衛女房は、腰元三人、女中二人を従え、下谷広小路の仕立屋を借り切って、その行列を拝観した。やがて将軍の行列が通過するというので、通行留めになったころ、膝元に置いてあった美しい香炉に名香を焚きあげ、その芳香は遠く大名小路にまで匂ったのであった。このあでやかな女房の扮装や華美な香炉が将軍の目にとまり、町人には過ぎたる奢りとして、石川家は財産没収、夫婦の者は十里四方追放を命ぜられたという。
事件のことはともかくとして、こうした香の聞き方は、宮川長春の遊女聞香の図にも見られるが、このころから町人の間に遊芸として聞香をたしなむ風習がようやく盛んになったらしく、それは元禄以降禁止令の出ていることによっても知られるが、実際には取り締まりも困難であったらしく、その流行は想像以上であったと考えられる。」
元禄時代と云えば、商業が発展し、町人が台頭し、所謂元禄文化と称される華美な文化が花開き栄えた時代という印象がありますが、一方では綱吉が出した「生類憐みの令」も「日本史」の中で記憶に残っています。
幕府の権威が高かった時代のようですから、石川六兵衛女房の華美な振る舞いは許せなかったのかもしれません。
※宮川長春の遊女聞香図 ~2011年「香り」展図録より~
※東京国立博物館像