亥の月・亥の日

今日10月25日は旧暦の十月(亥の月)一日、しかも何たる偶然でしょうか、亥の日です。
亥の月亥の日とくれば亥の子餅が定番、茶の湯の世界では「炉開き」が取りざたされる日です。

でも、まだ「立冬」前ですから、流石に「炉開き」するには早く、今月いっぱいは名残の風炉を楽しむ処も多いのではないかと思います。
我家も名残りの風炉派?です。

こんなに早く旧暦「亥の月・亥の日」がやってくるなんて、少々ビックリです。
立冬は11月7・8日頃ですが、旧暦の十月(亥の月)・亥の日となると、当然のことながら年によって異なります。
過去10年間のデータです。
※亥の日の日付けは最初の亥の日です。(十二支=子丑寅卯辰巳午未申酉戌

|   旧暦十月一日  亥の日
2022年 10/25(亥) 10/25
2021年 11/05(巳) 11/11
2020年 11/15(戌) 11/16
2019年 10/28(戌) 10/29
2018年 11/08(辰) 11/15
2017年 11/18(酉) 11/20
2016年 10/31(戌) 11/01
2015年 11/12(辰) 11/19
2014年 11/22(酉) 11/24
2013年 11/03(酉) 11/05

過去10年間で、今年は最も早い旧暦の亥の月・亥の日となっています。

亥の月・亥の日と云えば、亥の子餅(玄猪餅)。
『日本国語大辞典』には、宮中では、大豆、小豆、ささげ、胡麻、栗、柿、糖(あめ)の七種の粉を用いて作り、猪の子形に切ったものを食べた、とあります。
無病息災・子孫繁栄を願っての習いですが、猪が多産であることにあやかったようです。

また、御成切(おなりきり)と云って、碁石ほどの大きさに平たくつくった亥の子餅を紙に包み(玄猪包)、将軍家などが臣下に与えていたとか…。

亥の子餅の包み紙(玄猪包)の作り方については、伊勢貞丈「包結図説」に基づいて、かってブログ記事「玄猪包の折り方」で紹介しています。
あの頃は玄猪包に夢中熱中、まっしぐらでしたネ。懐かしい~。 (^^)

茶の湯関係では、野々村仁清「玄猪包香合」が広く知られています。

※『茶道美術全集7』(淡交社)より

香合には銀杏の葉があしらわれていますが、「包結図説」には亥の子餅の下に敷くかいしき【掻敷】として、三番目の玄猪の日には「忍と銀杏の葉」が、また包紙の下絵にも銀杏の葉が描かれているとあります。

2021.11.11付けのブログ記事「亥の月・亥の日」では「源氏三習香」に触れています。
組香「源氏三習香」には「亥の子餅」ならぬ「子の子餅」が出てきます。
以下に、記事を再掲します。

【源氏三習香】

◆香は四種
|揚名之介  として 二包で内一包試
|とのゐもの袋として 同断
|子のこの餅 として 同断
|客     として 一包で無試

◆聞き方
試みを聞いた後、出香四包打ち交ぜ、その中から一包を除き、残り三包を炷き出します。

『広辞苑』には「子の子(ねのこ)」について以下の説明があります。

「ねのこ餅」の意。「源氏物語」葵の巻で、光源氏と紫上の結婚の翌日に出された亥の子餅(いのこもち)を翌々日の子(ね)の日に三日の餅(みかのもちい)として転用したところから、たわむれて言ったことば。

※三日の餅・三日夜の餅=平安時代以降、婚礼三日目の夜に新郎・新婦が祝って食べる餅。

光源氏が初亥の日に差し出された亥の子餅を見て、明日の夕方に紫上にお供えするようにと言ったのを受けて、光源氏の家臣・惟光は子の子(ねのこ)の餅<亥の日の翌日は子の日なので機転を利かせて!>はいかほど用意いたしましょうかと伺ったところ、光源氏はこれの三分の一ぐらいと言った件に、「子の子餅」が出てくるようです。

亥の月・亥の日には亥の子餅です。
でも、亥の月・最初の亥の日である今日25日はパスということに相成りました。
まだ、二番目の亥の日(11/6)、三番目の亥の日(11/18)もあります。

菓子舖「たねや」に、遠慮がちに「亥の子餅はいつごろ販売されるのでしょうか」と問い合わせたところ、今日25日販売とのこと。

亥の月亥の日亥の子餅、流石「たねや」さんです。 (^^)

※公園のノコンギク【野紺菊】です。

※公園のクチナシ【梔子】の実が色づいています。