蘭奢待をめぐって

香道一口メモで、正倉院御物の蘭奢待を截香(せっこう)したのは、足利義満、足利義政、織田信長、徳川家康、明治天皇とありました。

2011年秋の正倉院展で展示された蘭奢待(黄熟香)には、切り取った跡を示す札3枚(足利義政、織田信長、明治天皇)が貼り付けてありましたが、截香した跡はその他にもたくさんあり、三名だけとはとても思えないほどの数でした。(札を貼ったのは明治時代?)

※札は、左から明治天皇、織田信長、足利義政

織田信長が天正二年(1574)に截香した記録は『信長公記』にも記してあり、信長は後日に「御会」を開き家臣に一部を分け与えているようです。

家臣の一人はありがたく拝領はしたものの、蘭奢待を所持していると良からぬことが身に降りかかってくるかもしれないと思い、やがて人を介して、その香木は一宮市の真清田(ますみだ)神社に奉納されたと云われています。(松栄堂主人・畑正高氏によるNHKR2での講演「日本人と香りの美」でもお話がありました。)

蘭奢待のような超有名な香木は「秘してこそ花」の趣き大なのですが、名古屋・徳川美術館には由緒ある蘭奢待が所蔵されています。

※図録『香の文化』より

展覧会図録『香(かおり)の文化』には「香木 名 蘭奢待」(0.4g)について、以下の解説文(部分)があります。

「この「蘭奢待」は附属する由緒書により、源三位頼政より伝承し、江戸時代初めには東福門院和子が所持し、のち香道志野流の家元蜂谷家の手鑑香であったのを、宝暦四年(1754)に志野流十一世勝次郎豊光から尾張徳川家に献上された一材であることが知られる。(佐藤)」

蘭奢待については、志野流香道先代家元・蜂谷幽求斎宗由宗匠が、かって京都の月刊誌に連載された「香道の心得~師走~」の中でも触れられています。

一部を抜粋します。

「自庵では、歳暮香を終えると来たる春の喜びを祝い、ささやかではあるが赤小豆物を振舞い、御題香を進呈することにしている。また、古記録や香木、例えば正倉院御物で、かの高名な「蘭奢待」の、自蔵の一片を御目に掛けたりする。かって伝来していたそれは、十一世の宝暦四年付の添文と共に流出(現、徳川美術館蔵)したが、くしくもまた明治十一年、明治天皇の行幸の際、截香されたものの一部を、由来書を添付し十五世に贈られた。それが現在のものである。これは聞香に供するわけにはいかないから見て戴くだけにしている。その間にもそれこそ「ひととせの述懐や懐旧」で尽きない。」

名香や名品は、吸い寄せられるようにしかるべきところにちゃんと収まって行くということでしょうか…。

山芍薬の可憐な白い花が明日にも開きそうです。

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【付】『信長公記』(巻七-蘭奢待被切捕の事-)はネット上でも原文を見ることができます。(国立国会図書館デジタルコレクション)
校注・桑田忠親『信長公記(全)』(人物往来社)による本文は以下のようです。

■■■ 蘭奢待切り捕らるゝの事

三月十二日、信長、御上洛。佐和山に二、三日御逗留。十六日、永原に御泊り、十七日、志賀より坂本へ御渡海なされ、

相国寺に初めて御寄宿。南都東大寺蘭奢待を御所望の旨(むね)、内裏(だいり)へ御奏聞のところ、

三月廿六日、御勅使、日野輝資殿、飛鳥井大納言殿、勅諚(ちょくじょう)として、黍(かたじけ)なくも、御院宣(いんぜん)なされ、則ち、南都大衆頂拝致し、御請(うけ)申し、翌日、

三月廿七日、信長、奈良の多門に至りて御出で。御奉行、塙九郎左衛門、菅屋九右衛門、佐久間右衛門、柴田修理、丹羽五郎左衛門、蜂屋兵庫頭、荒木摂津守、夕庵(せきあん)、友閑(ゆうかん)、重ねて御奉行、津田坊、以上。

三月廿八日、辰の刻、御蔵開き侯へ詑(おわ)んぬ。彼(か)の名香、長さ六尺の長持(ながもち)に納まりこれあり。則ち、多門へ持参され、御成りの間、舞台において御目に懸け、本法に任せ、一寸八分切り捕らる。御供の御馬廻、末代の物語に拝見仕るべきの旨、御諚にて、奉拝の事、且つは御威光、且つは御憐愍(れんびん)、生前の思ひ出、黍(かたじけな)き次第、申すに足らず。一年、東山殿召し置かれ候已来(いらい)、将軍家御望みの旁(かたがた)、数多(あまた)これあると雖(いえど)も、唯ならぬ事に侯の間、相叶はず。仏天の加護ありて、三国に隠れなき御名物めし置かれ、本朝において御名誉、御面目の次第、何事かこれにしかん。

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(注)蘭奢待(らんじゃたい)=東大寺とも呼ばれる。黄熟香。/辰の刻=午前八時前後。/御蔵=正倉院。/六尺=約182cm。/一寸八分=約5.5cm。/東山殿=足利八代将軍義政。/三国=日本・唐(中国)・天竺(インド)。/本朝(ほんちょう)=日本。/何事かこれにしかん=これに及ぶものがあるだろうか(いやない)。

『信長公記』では、蘭奢待を頂戴したい旨を宮中へ願い出て、天皇の命令が下りて正倉院は開かれたように記してありますが、一説には奈良の鍛冶屋を呼んで、力づくで正倉院の鍵を開けさせたとも云われているようです。

私的には、2015年秋、上賀茂神社で行われた献香式に伴なう名香席で「薬師寺 蘭奢待」を聞く機会を得たことは、今では貴重な体験・思い出になっています。(^O^)