五月雨日記

3日の志野流香道松隠会の講演会タイトルは「日本文化における香道の役割」、講師は濱崎加奈子先生でした。
大学での講義を始めとして、古典芸能・文化行事の再興や、文化財保持など、日本文化のプロデューサーとして幅広く精力的に活躍されている様子が、言葉の端々にあふれていました。

特に印象に残ったのは「香木と銘」のお話。

茶の湯では、茶入、茶器、茶碗、そして茶杓などの「銘」が、一期一会の一つの見どころ、聞きどころになっています。
お茶席で「銘」を伺った時には、銘の向こう側に広がる世界を努めて思い描き、銘を付けた人、そして作者を想うことが多々あります。
銘には人格が宿っている……と、どこかで聞いた覚えがあります。

香道の世界でも、香木の特徴を示すために銘が付けられています。(勿論、誰でも銘を付けることができるわけではありません。)
銘の多くは詩歌、古典文学、故実、出所、由来等々から引かれているようです。

昨年の志野流香道全国大会の記念品としていただいたのは「瀬音」。
香木を切り割りし、小片を何回か炷きましたが、瀬音は聞こえなかったものの、香りの向こうの景色は確かに瀬音に繋がる記憶?の様で良い香りでした。
銘があるとないとでは聞いた時に拡がるイメージが全く異なることもまた確かです。

香木と銘の掛け合わせ、香りと言葉の掛け算という一面から、聞香をとらえてみるのも面白いかもしれません。

講演の最後にスクリーンに映し出されたのが「五月雨日記」の「六番香合」の一番の部分。
これは『群書類従』第十九輯に収められています。

一番
左(勝)とこの月
右   山した水

「左右香のにほひよろし、すがりもあしからず、おなじ程にきこえ侍るよし、左右の方人申之。…」と判詞にあります。
左右の香銘は和歌から引いてありますが、勝負の決め手は和歌から引いた香銘にあったようで、右は菊の歌からとっていてたくさんうたわれていることから、左の勝ちとなったように読めます。

左 あき風のねやすさまじくふくなべにふけて身にしむとこの月かげ (『新拾遺倭歌集』416)
右 にほひくるやました水をとめゆけばまそでにきくの露ぞうつろふ (『長秋詠草』258)

香木に付けられた「銘」は、あだやおろそかにはできないようです。(^O^)

藪椿が一輪開花しました。

香道の心得 ◆彌生◆ (2)

 この頃の香室の装飾は取立てて挙げるものはなく、季に合せて〃指枝袋〃に桃の造花を指して置く程度です。あるいは大名家や旧家が所蔵していた雛道具の多くの中に香道具が見られますように、そうした形式のかわいらしい品々を飾るのもよろしいかと思います。以前、たっての所望により手元を離れていった、やはりひな道具の一部であった十種香箱(各種の小用具を一括して納める箱)が、この三千年香を聞くころになると頻りに思い出されてなりません。
中旬には自庵において一世の宗信忌(一四九〇年没)をいとなみます。その際、古来伝えている焚香の式に則り供香を致します。