和歌山の民話

今日で7月も終り。
暦を見ると、旧暦では六月最終日の二十九日で、昔々なら夏越の祓いの日です。
明日は8月1日、旧暦では七月一日で、丁度ひと月遅れとなっています。(稀有な事です!)

尤も、「だからなんなの?何か意味があるの?」と問われたら、「何にも有りません。新旧の1日が合っただけです。」としか答えようがないことです。

でも、珍しいことだと思い、少しだけ調べてみました。(Webサイト「新暦・旧暦変換」様に感謝です!)
過去30年間では、2008年(平成20年)に新暦8月1日が旧暦七月一日になっています。
その外、新暦8月1日が旧暦六月三十日(1989年)、旧暦七月二日(2011年と2000年)と僅か一日違いの年もあります。
一年12ヶ月で調べれば、新・旧の1日がひと月違いで同じというような例はたくさん?ありそうな感じがします。
結局、大騒ぎするほど珍しいことではありませんでした…。ハイ。<m(__)m>

※山芍薬が種をつけています。(黒い粒が種)

梅雨が明け、学校は夏休み、海へ山へと夏の行楽に出かける人も多くなりました。
海では潮騒が、山では峯々を渡る松風が、訪れる人々に心地よく響く、そんな情景さえ浮かんできます…。

ところで、香道の組香に【山海香】があります。
山海ではありますが、組香の趣は夏の行楽気分とは全く異なります。

香三種[浦波・松風・客]で、全当りならば「成道(じょうどう)」(悟りをひらくこと)と点数の上の処に書かれますから、宗教的な香りが感じられる組香となっています。

詩歌をちこち 【山海香】

[証歌]
浪の音きかじがための山ごもり くはいろかはるまつかぜのこゑ

上記の歌は『新編国歌大観』の中には見当らず、和歌山の民話の中に似たような歌を見ることができます。
以下にあげた二例は、民話として伝承されてきたことなので、文言の相違は当然あってしかるべきかと思います。

『南方熊楠全集』第五巻・雑誌論考Ⅲの「熊野の神詠」と題した記述の中に歌が載っています。

里譚に熊野の神がむかし西牟婁郡富田の海辺に鎮座し掛かると波の音が喧しい。それを厭うて山に上ると松籟が耳に障るので、
波の音聞かずがための山籠り 苦は色かへて松風の声
と詠じて本宮へ飛び去ったという。神さえ到る処の不満足を免れず、人間万事思うままに行くものかと、不運な目に遭うごとに紀州人はこの歌を引いて諦めるが、熊野猿ちう諺通り神の歌さえ鄙びたる。(後略)

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和歌山の民話「波の音をきらった神」(御坊市史第二巻)の中にも歌が載っています。(出典:HP[和歌山の民話]>[御坊市]より)

昔、野島(のしま)に八幡神社があったが、この神は海を流れて来た神だったので、波の音の聞こえない処(ところ)へ行きたいと言われた。それで印南町(いなみちょう)畑野(はたの)へうつし祀(まつ)った。その時、神は
波の音聞かじがための山の奥 声(こわ)色かえて松風の音
と詠まれたという。ところが畑野は下肥(しもごえ)が臭いと仰せられたので今の同町山口へうつし祀ったという。この神を海から揚げて、最初に仮屋(かりや)を造って祀った家が仮家姓を名のり、宮のあった家(宮の世話をした家)が宮本姓を名のったといい、この一統が行かないと山口八幡神社の祭ができないことになっていたという。

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以前、紀伊半島を車で一周したことがあり、熊野三山の「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」・「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」・「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」へもお参りしました。

当時、この歌の事を知っていたならば、神社で由来を聞くことができたかもしれません…。(^O^)