勅封・真の封じ

今日は、暦によると土用の入り。
土用といえば夏の土用が良く知られていますが、春夏秋冬の終りにはそれぞれの土用があります。
18日間の秋の土用が終われば、いよいよ立冬(11月8日)です。

正倉院宝物のひとつである「螺鈿紫檀五絃琵琶」の複製品作りを中心に据えて、正倉院のあれこれを取り上げたたTV番組「正倉院の奇跡」が先日オンエアされました。
番組では五絃琵琶のルーツ探しから始まり、遣唐使に託されて日本の朝廷に納められた経緯を紹介し、最後に複製品の演奏を聞くという構成になっていました。

螺鈿紫檀五絃琵琶(らでん-したん-の-ごげん-びわ)はチラシの右端の楽器ですが、現在「正倉院の世界」展に出品されています。

番組の中で、特別に興味を引かれたのが正倉院の「勅封」。
現在、昔からの木造の正倉院に宝物はなく、近代的な設備の西倉に納めてあるようですが、開封の儀の様子が一部映し出されました。
何重もの扉を開けた先の扉に「勅封」がなされた大きな鍵がありました。
見るからに、おどろおどろしいものです。

竹皮で巻かれた勅書が縄で結ばれ、更に縄が鍵に何重にも絡んでいる様子が見てとれます。
これでは、こっそり開けてまた元通りに封をするなんてことは不可能です。
この結びは今でもきっちり伝承されているそうです。(番組の中では、練習台を用いた結び方まで映されました…。)

正倉院の勅封といえば、織田信長による正倉院宝物の香木・蘭奢待の截香が頭に浮かんできます。
『信長公記』に事の顛末は書かれていますが、信長による開門要求に対して、東大寺は勅許がないと正倉院を開けるわけにはいかないと云ったものの、数日後には開かれて蘭奢待は截り取られています。(ふた口も!)
その後日談は、一宮市・真清田神社宝物殿に収められた「蘭奢待」の由来に繋がっていて、関連する歴史に彩りを添えています。

封は閉じたという印ですから、封を切れば開けたことがわかります。
もう一度元通りに復元できるような封では、封の意味が無くなってしまうので、いろいろと手を尽くすことになるようです。

他にも、そうした封の例があります。

茶の湯には、茶入の仕服の結びに「千代久封じ」(真の封じ)と呼ばれる結びが伝わっています。

※出典「くらしを楽しむ 四季の花結び」(淡交社)

この結びは、結び方を知っている人だけが解くことができるという結びです。
現在では、花結びの一つとして遊び心で用いる場合もあるようです。(香木を入れる志野袋にも…)

昔は、持参した茶入の濃茶がすり替えられないように、毒物などをこっそり入れられないように、難しい結びを施すことによって、身の安全を図ったと云われています。
それでも信用できない時は、お茶を点てる段になってから茶入を懐中から取り出して「これで…」と点てさせたとも聞いています…。
武士が権力を争っていた時代のお話です。

「千代久封じ」(真の封じ)については、結びの第一人者である田中年子氏の『花結びと袋もの』(NHK出版)に結び方が詳しく記されています。

封については「茶通箱」のお話も欠かせません。
現在では、茶通箱のお点前は相伝の一つになっていて、箱の扱い(右手・左手の作法)が主な眼目になっています。
昔は茶入を入れた箱を先方に届けるための通いの箱にも用い、矢張り身の安全を図るために、ここぞという位置に印をつけた紙縒り(こより)で箱を結んだりしたようです。

茶書『南方録』に付属する秘伝には「封の三刀」の秘事が書かれています。
封の三刀の秘事とは、心印を書きつけた紙縒りで茶箱を縛ることによって、封を作法通り切って箱を開けた時、こよりに秘かに付けていた印があるかどうかを確かめれば、箱が事前に開けられたかどうかが解るということのようです。

尤も、現在の「茶通箱」のお点前には、箱を結ぶ紙縒りなどは無くて、専ら右手・左手の手順などが問われているようです…。

平和な時代です。(^O^)