夏も近づく八十八夜

今日5月1日は八十八夜。
立春から数えて八十八日目の日です。

「八十八夜の別れ霜」という言葉があるように、これ以降は降霜の心配がないので、種まきの季節とされているようです。
『日本国語大辞典』には、「米」という字を分けて書くと八十八になるところに、この日が由来するといわれ、農耕上大切な日とされている、との説明があります。

また、茶どころでは茶摘みが最盛期を迎える頃です。
ネット上のニュースに、宇治茶の茶摘み姿の写真が載っていました。

コロナ禍の中、マスクを着用して、姉さんかぶりに茜たすき姿の新茶摘みです。
「宇治茶レディ」の方々は笑顔でしたから、きっと観光PR用の写真かも…。

ところで、茶の湯では定番となっている抹茶(碾茶)の銘に「初昔」・「後昔」があります。

「昔」という字を分けて書くと、廿一日となるところから、八十八夜の前・後二十一日間に摘んだ茶をそれぞれ「初昔」・「後昔」とする俗説がありますが、『原色茶道大辞典』(淡交社)では誤りとされています。

『原色茶道大辞典』によると、江戸時代前期に将軍が飲む宇治茶の茶葉にこの銘を付けたことに始まるとして、利休時代以前の碾茶の色は白みを帯びたものであったが、その後の古田織部の時代には青みの強い茶が好まれ、白・青両方の茶が将軍家へ納められるようになったので、小堀遠州が最初の昔からあったものとして白みの茶を「初昔」と名付け、織部好みの青色の茶を「後昔」命名したと『上林家前代記録』などに見える、との説明がなされています。

『日本国語大辞典』では、「初昔」は陰暦三月二十一日に新芽を摘んで精製した茶で、「後昔」は茶摘みの第二日に摘んだ葉から精製した茶であるように説明されています。(奇しくも、今日は旧暦三月二十日です!)

また「初昔」の[補注]には、「初昔に対して、その後の茶を後昔といい、この二種の茶は幕府の御用となり、一般には売られなかった。」とあります。

尤も『原色茶道大辞典』では、この旧暦三月二十一日説は、八十八夜前後二十一日説と同様に誤りとされていますが…。

ただ、お茶壺道中があったように、将軍家御用達の抹茶の銘であったことは想像に難くありません。

今でこそ、気安く「初昔」も「後昔」もいただいていますが、江戸時代なら打ち首ものだったかも…。

卯の花(空木)と同じユキノシタ科のバイカウツギ【梅花空木】が開花しました。

卯の花は五弁ですが、バイカウツギの花は四弁です。
梅の花ほど強く鋭い香りではありませんが、ホワッと包み込むような芳香を放っています。

唱歌「夏は来ぬ」の歌詞がピッタリの時季です。
♪卯の花の におう垣根に 時鳥 早やも来啼きて 忍び音もらす 夏は来ぬ

この時季の組香と云えば、矢張り「夘花香」あたりでしょうか…。(^O^)

◆香四種
春 として 三包で内一包試
夏 として 同断
垣根として 三包で無試
卯花として 一包で無試

聞き方は、試みを終えた後、春・夏の四包から一包抜いた三包を、垣根、卯花に交ぜて計七包を打ち交ぜて炷き出します。

証歌は、『拾遺和歌集』夏80 源順(したごう)の歌です。
我宿のかきねや春をへだつらむ 夏きにけりと見ゆる卯の花

卯の花も、夏を代表する風物の一つで、白い花が咲く様は雪や波にたとえられるようですが、卯の花の垣根となると久しく見た覚えがありません。
きっと、ある所にはあるのでしょうが…。(^^)