菊花香

重陽の節供(菊の節供)は、現行の新暦9月9日に、月遅れの10月9日に、そして旧暦の九月九日(今年は10月28日)にと、三通りの月日で催されているようです。
これはひとえに、明治五年十二月二日(この日まで旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(この日から現行の新暦)に改暦し、五節供もそのまま新暦の日付に移行したことによるものです。
旧暦と新暦の話は長くなりますので省略しますが、ひと月遅れの日付で行事を固定する所が生じたのも頷けます。

月遅れの重陽の節供を催している神社の一つに奈良・春日大社があります。
今年も、10月9日に「重陽節供祭・献香之儀」が取り行われ、志野流家元による献香、午後には「聞香之会」が催されたようです。
私は参加していませんが、組香は「菊花香」が行われたと風の便りに聞きました。

「菊合香」は良く知られていますが、「菊花香」は初めて聞く組香です。

◆香は四種
黄花として 三包で内一包試
紫花として 同断
白花として 同断
菊花として 一包で無試(客)

聞き方は、試を聞き終えてから、出香七包打ち交ぜて炷き出されたものを順次聞いていくようです。
現在は絶版となっている昭和時代の本に「菊花香」の概要は収められているようですが、この組香の複雑さ(面白さ?)は黄花、紫花、白花、菊花の出方により、いろいろな名目が与えられることで、しかも読み替えもあり、執筆者の負担は大きいと思われます。(お客は楽です!)

個人的には、最初は全て菊花の色?と思っていましたが、黄花・白花はともかく、紫花は紫菊?紫?と俄かには理解できませんでした。
組香の多くは江戸時代に創作されたものですから、拠り所は『和漢朗詠集』あたりを探すのが一番手っ取り早いはず、と見当を付けて探してみました。
この組香の名目の出所はすべて『和漢朗詠集』にあり、名目の漢詩は269、271、267、和歌は265から引いてあることがわかりました。
紫は菊の花の色ではなく、蘭の花の紫色でした。

蘭惠苑嵐摧 (和漢朗詠集271)

川口久雄『和漢朗詠集』(講談社文庫)に詳しく書かれています。

先人の遊び心がつまった組香の一つと云えるかもしれません。

ところで、菊と云えばたくさんの異名をもっていますが、その一つに「花の弟(おとと)」があることを初めて知りました。
広辞苑には、「(四季の花の中で最後に咲くからいう)菊の雅称」とあります。

いやはや、一筋縄ではいかない組香であることだけはよく分かりました。

香道一口メモ・42【沈水香(じんすいこう)の品質分類】

香合わせと組香(聞香の一形式)が進展し香道が複雑化すると香木の品質、香気の分類が要求された。初期の香道が産地について明確な知識を持っていたか否かはくわしくわからないが、一応産地にその分類基準を求めていた。これが現在でも香道の基本原則となっている六国(りっこく)の木所(きどころ)の発端。