カンゾウ・聞香

8月も今日で終わり。
今週は日中の暑さもさほどではなく、先週までのエアコン頼みの生活からやっと抜け出せたような感があります。
まだまだ暑い日もありそうですが、季節は秋へと確実に向かっているようです。

鉢植えのノカンゾウ【野萱草】の花が咲き出しました。(確証はありませんが恐らくノカンゾウ)
ユリ科の多年草で一日花です。

数日前に使えることを知ったアプリ「Google Lens」で花名を調べてみたところ、ノカンゾウと特定はされなかったものの、似たような花がいくつか出てきました。(写真次第ということでしょうか…)

名古屋・徳川美術館の秋季特別展「殿さまとやきもの-尾張徳川家の名品-」のチラシ(裏面)です。
会期は、9月15日~11月10日となっています。

茶道や香道といった芸事の世界でも、9月の声を聞くと催しものが目白押しとなります。
手許には既に複数枚の茶券があり、更に増えそうな気配です。
茶道人口の激減?が伝えられている中、伝統芸能を時代と共に如何に継続していくのか、伝統芸能各流派の智恵が問われている時代と云えるのかもしれません。(尤も、私が心配することではありませんが…)

16日の京都・五山送り火のNHK生中継に出演されていた25代当主・冷泉為人氏の言葉は印象的でした。
冷泉家の伝統行事について「変わらないものだけではなくて、変わらなければいけないものも変わって」続けている旨の言葉があり、「伝統に対して革新、古典に対して現代、不易に対して流行」ということを強調されていたように思います。
キーワードは「不易流行」。
全く、その通りだと思ったのでした。

過去記事の中で、漢詩の句「心清聞妙香」を記した覚えがあります。

「詩聖」と仰がれる中国盛唐期の詩人・杜甫(712~770)が、757年の春に長安(陝西省西安市)にあった大雲寺に宿し、賛公の歓待を受けて作った「大雲寺の賛公の房四首」中の「其の三」の詩に、「心清聞妙香」の句はあります。
「心清くして妙香を聞く」です。

『杜甫全詩訳注(一)』(講談社学術文庫)から、「其の三」の詩と書き下し文、そして現代語訳を引用します。

燈影照無睡  灯影(とうえい)照(て)らして睡(ねむ)る無(な)く、
心淸聞妙香  心(こころ)清(きよ)くして妙香(みょうこう)を聞(き)く。
夜深殿突兀  夜(よる)深(ふか)くして殿(でん)突兀(とつこつ)たり、
風動金琅璫  風(かぜ)動(なぶ)りて金(きん)琅璫(ろうとう)たり。
天黑閉春院  天(てん)黒(くろ)くして春院(しゅんいん)閉(と)じ、
地淸棲暗芳  地(ち)清(きよ)くして暗芳(あんぼう)棲(す)む。
玉繩迥斷絶  玉縄(ぎょくじょう)迥(はる)かに断絶(だんぜつ)し、
鐡鳳森翺翔  鉄鳳(てつほう)森(しん)として翺翔(こうしょう)す。
梵放時出寺  梵(ぼん)放(はな)たれて時(とき)に寺(てら)を出(い)で、
鐘殘仍殷牀  鐘(かね)残(のこ)りて仍(な)お床(しょう)に殷(いん)たり。
明朝在沃野  明朝(みょうちょう)沃野(よくや)に在(あ)れば、
苦見塵沙黄  塵沙(じんさ)の黄(き)なるを見(み)るに苦(くる)しまん。

〔現代語訳〕灯火の明かりで寝つかれないが、心が澄み渡りお寺の香気が仏法の妙義のように感じられる。夜はふけ仏殿は高く聳え立ち、風になぶられて鈴鐸(れいたく)の音が涼しげだ。黒々とした空の闇に閉ざされる春の奥庭よ。また清らかなる大地の暗がりをねぐらとする花の香りよ。玉縄星(ぎょくじょうせい)は遥か天の彼方で途切れ、屋根の上の鉄の鳳凰は連なって飛び上がらんばかり。僧侶の朗唱する梵唄(ぼんばい)が高まって寺の外へと流れ出し、余韻を残す鐘の音は、なおこの寝床(ねどこ)に響いてくる。明朝この寺を辞して野に身を置けば、また薄汚れた砂塵に苦しむことになろう。

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妙香は仏法の妙義の喩えで、「妙香を聞く」ことは仏法の教えを聞くということになりそうです。
この時代、香を聞く【聞香】(もんこう)は、仏法を聞く【聞法】(もんぼう)に通じていたということでしょうか。

尤も、【聞香】(もんこう)という言葉が、いつの時代から使われていたのかは知りませんが…。