詩歌をちこち【海月香】余話

團々離海嶠  團々(だんだん)として海嶠(かいきょう)を離(はな)れ
漸々出雲衢  漸々(ぜんぜん)として雲衢(うんく)を出(い)づ
今宵一輪満  今宵(こよい)一輪(いちりん)満(み)てり
清光何處無  清光(せいこう)何(いづ)れの處(ところ)にかなからん

上記の漢詩は、組香【海月香】の香名に引かれている漢詩の句です。
この漢詩については、2021年7月23日付のブログ記事「詩歌をちこち最終回・海月香」の中で、和歌と共に出典について紹介しています。→ https://watayax.com/2021/07/23/kaigetu-kou/

ブログでは、漢詩が謡曲「三井寺」の中にあったことから、『謡曲大観』第五巻(明治書院)所収「三井寺」の該当部分の〔本文〕と〔脚注〕を引用しています。

同書〔頭注〕には、賈島(かとう)の詩とあったことから、当時『全唐詩』上・下(上海古籍出版社)を探してみましたが、賈島の詩としては見当たりませんでした。
その為、漢詩が「三井寺」にあったから良し!として、それ以降調べることを諦め、すっかり失念していました。

團々離海嶠
冉々出雲衢
此夜一輪満
清光何處無

ところがです!
漢詩の出典を突き止めた方がいて、詳しい資料を添えて、丁寧に教えてくださいました。
感謝、感謝です。 (^^)

『全唐詩』第十二函第五冊の中に件の漢詩はありました。

南唐失名僧 (失名=氏名のわからないこと)

徐々東海出 漸々上天衢 此夜一輪満 清光何處無、前二句一作 團々離海嶠 漸々出雲衢

見事に一件落着です。 (^^)

実は、『謡曲大観』第五巻(明治書院)所収「三井寺」の該当部分については、以下の二つの〔頭注〕が添えられています。

〇團々として海嶠を離れー
唐の賈島の詩「團々離海嶠、冉々出雲衢、此夜一輪満、清光何處無」を引いた。堯山堂外記には李先主の時或寺僧がこの詩を作って、喜びの餘り夜半に鐘を撞いたといふ。但しそれには起承二句「徐々東海出、漸々上天衢」とある。

〇この後句なかりしかばー
江隣幾雜志に「南唐一詩僧賦中秋月詩云、此夜一輪満、至來秋下句云、清光何處無、喜躍半夜起撞寺鐘、城人盡驚、李後主檎而訊之、旦道其事釋」

賈島の詩でないことは先に述べましたが、〔頭注〕には堯山堂外記(ママ)、江隣幾雜志(ママ)という二つの書が引かれています。(李先主=李昪(りべん))
なんだか、藪の中にどんどん入りこんでいる感があり、2021年7月23日のブログには記しませんでした。

今回、漢詩の出典を教えてくださった方からの資料には、堯山堂外紀、詩話総亀の書名もありました。
該当部分の原文は、前者はネットで、後者は冊子で見ることができました。

個人的には、賈島の詩とされたのは「推敲」の故事に因む詩句「僧敲月下門」などから「月」つながりで着想したのではないか、更に代を重ねるうちに、語句も形を変えながら、【海月香】の香名にあるような漢詩形に至ったのではないか、と思っています。

日本の和歌にも「詠み人しらず」とされながら〇〇の歌とされていたり、組香の証歌が本歌と語句が異なっている場合があることはよく知られている所です。

ともあれ、組香【海月香】に引かれている漢詩が『全唐詩』に載っていたことに深い感銘を覚え安堵感を抱いています。
あらためて、探し当てた方に感謝申し上げます。

公園のトベラの実です。
『日本国語大辞典』には、「節分に枝を扉にはさんで鬼をよける風習から「とびらのき」といい、和名は、その略という。」とあります。
『広辞苑』には、「茎葉に一種の臭気があり、昔、除夜に扉に挟んで疫鬼(えきき)を防いだ。」とあります。
和名は、トビラが訛ってトベラという伝えもあるようです。 (^^)