利休作竹花入-園城寺・よなが・尺八-

先日の名城市民茶会の猿面席には竹花入の利休尺八が出され、椿「白玉」が入れられていました。
その名を知られた花入なので、ちょっと調べてみました。

利休が秀吉の小田原征伐に随行した時、韮山の竹で以て三本の花入、即ち「園城寺」・「よなが」・「尺八」を作ったことはつとに知られています。
それぞれ謂れはありますが、以後これら三種の形式は定型となり、現在もまた然りです。

①竹一重切花入「園城寺」…高さ33.4cm、口径10.5cm【東京国立博物館蔵】
②竹二重切花入「よなが」…高さ45.4cm、口径10.3cm【藤田美術館蔵】
③竹尺八花入 「尺八」 …高さ26.2cm、口径10.3cm【裏千家今日庵蔵】

※『利休形』(世界文化社)より加工編集。

上図は編集の都合から三本とも高さを同じようにしてありますが、各寸法から解る通り、実物の口径は三本ともほぼ同じで、高さは「尺八」<「園城寺」<「よなが」となっており、「よなが」は「尺八」の1.7倍、20cm近くも高いことがわかります。(二重切なので当然ですが…)

①「園城寺」
銘は、竹の正面に樋割れ(雪割れ)が入っていて、これを園城寺(三井寺)の鐘のひび割れになぞらえての銘とされています。
園城寺の鐘は奈良時代に遡る日本有数の古鐘で、鐘の表面に擦り傷やひびが入っており霊鐘堂に安置されています。(「弁慶の引き摺り鐘」の伝説あり)
小田原征伐後、花入は小庵に与えられましたが流出し、その後松平不昧の所有などを経て、現在は東京国立博物館蔵。
利休が織部に宛てた「武蔵鐙の文」と他一通の添状があります。

②「よなが」
竹の節と節の間を“よ”【節】といい、“よ”が長いので「よなが」。
命名は利休自らで、背側に「よなか」と直書し、花押が添っています。
また、“よ”に“夜”をかけて「夜長」とも…。
『原色茶道大辞典』によると、竹の上部で作った花入が「尺八」、下部で作った花入が「園城寺」、中程で作った花入が「夜長」とか。

③「尺八」
一尺足らず(26.2cm)の逆竹をもって切られ、花窓がなく、後方に釘穴を開けたもので、一節を残しています。
和楽器の「尺八」は文字通り一尺八寸(約54.5cm)の長さがあることからその名がありますが、この銘は一休和尚の楽器尺八の頌の故事によると利休が答えているそうです。
一節の寸胴切形と逆竹を原則としますが、以後、細長くなくても「尺八」と称するようになっています。

[メモ]
※小田原征伐は、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を包囲し、北条氏政・氏直を降した戦い。

※利休作と伝えられる花入は、一重切、二重切、尺八の形式それぞれで、上記以外にも伝わっています。
先日の名城市民茶会で出された利休尺八(宗旦書付)もその一つということになります。
なお、利休尺八と云えば当然利休作なのですが、尺八は形式でもあることから、利休尺八以外にも小堀遠州尺八「深山木」、金森宗和尺八「鉈」などが伝わっています。

※雪割れ=竹に割れが生じた時の業界用語で、一つの景色と捉えているようです。積雪地帯で屋根に積もった雪に亀裂が入ることを雪割れというようですが、竹が積雪で折れるのを防ぐために自ら割れを生じさせる事もあるようで、この現象・景色(雪割れ)から引かれた言葉かと思います。